「民主主義への挑戦」でもなければ「言論封殺」でもなかった。
安倍晋三氏暗殺事件。
マスメデアやyoutube番組などの情報から、事件は宗教団体との関連が出てきた。
宗教団体の集会に安倍氏がビデオメッセージを送り挨拶している事実。
この宗教団体発行の雑誌の表紙の写真にも数回にわたって登場していた事実もあるようだ。
かつて、安倍氏とこの宗教団体との関連を赤旗新聞が報道した。この時、事実に目を背けたり隠ぺいしたりしないで、宗教と政治の関係を冷静にかつ厳しく追及し解明していたら「安倍晋三氏の命」は違った位置に置かれたのではないけと筆者はとても強く感じてならないのだ。
そして、この宗教団体の被害者の家族が広告塔の役割を成した格好の安倍氏をターゲットとして狙ったということが現在までの報道から認識できる。
さらに、この宗教団体と安部氏や自民党への献金や人脈的な侵食はなかったのか、政権への報道忖度や権力による隠ぺいに展開していかないか筆者はとても危惧する。
政治が事実に目を背けことが社会と人心に及ぼす悪影響は公文書改ざんから起こった公務員自死事件・公金を使った政治利権獲得の桜見る会・党内内輪もめによる政治資金の広島疑獄事件などは事実解明の未遂行の絶好の経験ではないだろうか。
これらの、事件を真っ当に検証していたなら安倍晋三氏の命は救えたのではないだろうかとも思ってならない。
つまり、隠ぺい、改ざん、偽証の結果、安倍晋三氏の政治生命が延命されていたと考えるなら、解明によって政治生命は絶たれたとしても「命」は守られたのではないかと思うのだ。
事実に目を背けることへの「その場主義」の愚かしさが見えてくるのだが。