最 近の出来事から、不図、子供のころの記憶が甦り「寛容と不寛容の罪」なんてことを考たのです。
寛容であることと不寛容であることとどちらが「より罪深いだろうか」ということです。
それこそ、肝要なことは「そのバランス(つりあい)」「ケース・バイ・ケース」という方も多いでしょうか。
関連して「作為と不作為の罪」というのが浮かびました。
「した」と「しない」の罪です。
次に、「偽善の罪」という考えが出てきました。
結果的に偽善と実感できる「世の中の出来事」に「沈黙」することは不作為の罪にならないだろうかと考えたのです。
その「沈黙」がどんな因果となって現実に現れているかアンテナ高く、広くしなければキャッチできないことなのでしょう。
この沈黙が「寛容」とするならば、偽善の結果として「市民の不利益」がある場合、その寛容は罪にならないのだろうか。
ですが、そもそも、現代において「罪の概念」自体ナンセンスであるとするならば、考える意義も意味もないのですが。