菅首相の2012年発刊の本。

野党時代書かれた内容で、当時の民主党政権を批判した部分で東日本大震災に関わる福島原発事故に伴う会議ややりとりの記録が残されなかったことに対して「公文書は残すのが当たり前」という部分が削除されて出版されたのである。

発行者の文春は「ページ数の関係で削除しなければならない状況が出てきた」ので編集側の判断で削除したとのこと。

菅氏の意向の関与に触れていない。

ただし、なぜ、「文書管理」の部分を削除したのかについては説明がない。

安倍政権下文書管理が問題になったことは記憶に新しい。

当時の安倍首相の「私や妻が関係していたら・・・」の国会答弁を受けて官僚世界で発生した忖度改ざんが、文書管理の必要性を社会に問う状況になった。

だが、その後も、加計学園、桜を見る会と相変わらずのずさんな「文書管理」の現実があり、その政権のナンバー2が菅氏であった。

さらに、菅氏は安倍政権の継承を念に置くと発言。

かりに、文春側が「野党時代の発言が現実と合わない」個所があり、編集側で積極的に削除したのであれば、これもまた「忖度」ではないだろうか。

発言の事実を削除「事実の隠ぺい」「本自体の改ざん」と考えることが出来るのではないだろうか。

 

ところで、忖度は「人間関係」において世界中で行われっている「心理的現象」であると考えている。

他国地域と比較して、日本社会の突出した精神文化であったとしても、相手のことを「おもんぱかる」心的作用は「相手の心情を推し量り想像する」点において家族、友人、職場同僚、公衆マナー、SNS配信等で世界中で日常ではないだろうか。

だが、肝心で憂慮しなくてはならないことは「忖度による現実齟齬」である。

忖度で事実が変更され、「その事実に続く(基づく)現実」、つまり、「因果関係の矛盾」によっておこる現実社会の理不尽である。

忖度による「嘘に嘘を重ねる結果」が本質、事実を隠ぺいすることにつながるということである。

その一例として「財務省改ざん事件」に関わる公務員の自死事件である。

この件に関して財務省調査、検察捜査においても「忖度」の臭いは否めない結果となっている。

現在は家族による民事訴訟に至っている。

家族と心ある市民にとっては「理不尽」な話なのだ。

君はどう考える。