24時間テレビで「偽善」に言及 高橋尚子、さだまさし...出演者の「訴え」、ネットはどう受け止めた?

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J-CASTニュース


Yahooニュースよりタイトル抜粋

 

一つのテレビ番組が「善意か偽善か」を決定する必要あるのであおうか。

企画側の問題であって「視聴者が問う」問題ではないのではないか。

そもそも、テレビ番組や報道内容は視聴側が「真意」を量り受け止める仕組みなのではないだろうか。

例えば、今番組の出演者は「善意」でやっているつもりでも、番組関係者や部担当者が偽善の企てを有している場合もあるだろうし、偽善だからと言って全ての収益が善意に充てられないとも限らない。

だとすると「偽善の善意」ということにはならないだろうか。

いずれにしても、全てが善良であると限らないが「善意」の気持ちを持って行動することに社会的意義と社会正義観意識に絶大であると感じている。

 

ところで、これまでのコロナ対策に関して社会的に経済優位にあるものの原資支出意識の伝わってこないことの方が圧倒的に「偽善」を感じる。

例えば、医療関係とPCR検査拡大への資金出資の停滞である。

コロナ患者受け入れで経営難と勤務状況の切迫現状は経済的支援の必要性を現実にしている。

感染症学とは別に、「うつさない、うつらない」の安心心理が社会活動、経済活動の正常化につながることは確信的であるが、社会的検査とも言われる「拡大するPCR検査」は欠かせないだろう。

にもかかわらず、停滞する検査数である。

停滞要因の一つに「社会的検査」に要する資金助成が少ないことにあると思う。

この原資をどうするのかと言う人もおられるでしょうが、国庫と400兆円とも言われる企業の内部留保の充当が望ましと思っている。

根拠は、コロナの収束による社会活動の正常化は納税の増額を期待できる意味で、国庫支出には正当性と公平性がある。

感染を気にしないで働ける状況は雇用のみならず消費の拡大が期待でき企業の収益増につながる。

つまり、国家にしても企業にしても対策原資の支出が「巡り巡って」収益につながるのが資本の循環ではないだろうか。

自動納税と確保のみの利益は、特に「緊急時の還元の無さ」の姿勢と態度に疑義と「国家的偽善」「社会的偽善」を実感する。

金融対策と収益保存だけで社会生活の継続を狙ってもマイナスはあってもプラスはないだろうと感じている。

現政権と企業の社会的責任の欠如は常々実感しているところである。

一部の政権擁護者や一部の企業の利権拡大に終始する構図ではなく、社会に対する投資は「資本主義的経営の本質」の時代を迎えていることは確信している。

公益資本主義、利他的資本主義、(ベーシックインカム)補償型資本主義等々のグローバル化を支える「社会投資」が望まれる資本主義の姿ではないかと思うのだが。

君はどう考える。