「3密回避」「外出自粛」「営業自粛」は庶民の汗(努力)。
営業しないと生活できないレベルの飲食業を考えてみる。
従業員を抱える店、一日1万円の協力金。
「協力金は足りなくも有難い」との認識と感謝を示す店主も多いと感じている。
だが、協力金の額を批判するわけではないが「それでも生活できないのが実態」が伝わってくる。
ここで言う「生活」とは「飯を食う」と言う意味。
給料や店の存続の可能性の問題もあるが、ここでは「生命生存」の意味での生活のこと。
なので、自粛要請、営業時間短縮要請に応えられない店もあるのが実態ではないか。
その意味で「庶民は汗」をかいていると思う。
一方、都、国行政の汗は何処に見られるのだろうか。
「3密回避」「外出自粛」「営業自粛」要請と支援金制度しか見えてこないのが現状。
だが、これらが「汗」と言えるのだろうか。
勿論、庶民の汗と行政の汗が同じであるとは限らないが、感染防止の必要条件のレベルでは「同等である」と思っている。
庶民の汗だけで行政の汗が無いとしたら、それは「庶民の善意」でしかないのではなか。
特筆すれば、経済の日常化を目指すならば、行政レベルで汗をかくことが求められるのではないか。
例えば、PCR検査の拡大に関して「出来ない」「しない」理由を述べている根拠は「検査しないのがポリシー」のようなのだ。
だが、無症状感染者の存在がある現在では、検査しなければ感染しているかどうかわからない事は論理的である。
「検査」の無い状況では「うつらない、うつさい」の安心心理の確立には役に立たないことも論理的。
結果、経済活動の日常化は望めないことも論理的である。
したがって、現在は勿論のことウィズコロナ時代に向かって検査拡大のシステム確立に汗をかくことも行政の役割であると確信している。
君はどう考える。