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晴れわたる青空の下で

人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

私のインターネットへの向き合い方を少しまた変えてみている。最近はface bookを始めた。本名による書き込みである。

どうしても本名による書き込みの場合には、私を嘲笑っている人たちの顔がすぐに思い浮かんでしまい、途中から、普段自分がどう見られているのかという部分がよぎってしまいなかなかきちんと書くことができないでいる。しかし不自由であっても、ようやく本名であっても語っていけるだけの環境ができ始めているのだからきちんと逃げずに様々な課題に向き合っていきたい。今月の第三文明という雑誌に見回り先生でおなじみの水谷修さんの記事があり読んだ。浜四津議員とのやりとりに少し感動もした。

さて、私の課題について少しここ数年を振り返りながら整理をしていきたいと思う。

私の大きな変化は、自宅療養の日々から一般のアルバイトを始めたということだ。朝から夕方まで週5日働いている。毎日くたびれて、明日に備えるという慌ただしい日々を送っている。まさか、これほどまでに一般の仕事が続くとは思わなかった。ネットに向き合う時間、テレビに向き合う時間がうんと減り、いじめとの向き合い方にも、今現在の生活にある独自の濃淡が別れる心の地図がある。アルバイトを始める前には濃く具体的で事細かに見えていた部分が今は薄くぼやけているところがある。すべては、いじめのない世界のためである。まずはいつもの通り、今の自分を見つめて、無理なおっかけはしないでおく。この辺の割り切りは本名のあいつにはうまくいかずに困難なんだ。私の名前は永井義郎。いじめの悪と戦い続ける人間の名称。20歳の頃に、本名で数十年の間生きていくことに無理があると感じた。それでつけた名前が永井義郎です。

この名前で多くの10代の人と交流することができた。あの時間は人生の中で最高に濃密な時間でした。あれを超える時間は実生活ではありません。本名の私はまだそういった有意義な時間は体験していません。あの体験が今の私の支えとなっている。無意識に自信となっている。今、テレビのバラエティ番組も落ち着いてきている。さまざま新たな試みもあるようだが、私も強く訴えてきた反いじめへのアンチとしての姿勢で新しいものを作ろうとはしていないことがよくわかる。時々Kワードがでるのを確認して警戒している。だから、アルバイトを始める前から、テレビへの厳しい監視も緩やかに見守るというフェイズになっていた。もともとは、フルマラソンに挑戦するために数日のアルバイトのつもりで働いたのだが来月で1年になる。あらゆるsnsで書いてきてよかったのは、ずっと今の自分の状態について少しずつでも書き続けていたことだ。働けない自分。社会に参加できない自分。そういった状態にある自分が社会への貢献を断固やるという決意で書き込みであったり、いじめとの戦いをやってきた。働けない自分。社会に参加できない自分。そんな自分の周りには多くの明るくて親切でのどかな人が多くいた。テレビの向こう側にもいた。インターネットの向こう側にもいた。部屋の掃除を手伝ってくれるヘルパーさんもいた。その他にもいた。新聞の向こう側にもいた。永井義郎とはある意味で幸せな名前であるのかもしれない。いや、ヘルパーさんたちは本名の私に親切に接してくれたのだから、彼らが私の本名をも掃除して綺麗にしてくれていたのかもしれない。

職場では正直なところ悪戦苦闘している。私はまず、いじめのない世界を具体的に建設するためには、自分で働き、自分で稼ぎ、ある程度の頑健な身体が必要だと思うようになっていた。今はまだ、そのトレーニングの真っ最中といえる。知覚過敏の歯のようになってはいないだろうかという心配はずっとあった。仕事をして思うのは、毎日が非常に楽である。らくちんである。仕事をできていない時間の100倍楽である。少し困るのが疲れが抜けないといったことくらいである。満員電車に8時間乗ってるようなものである。電車を降りる時間もある。仕事は大変と脅されてきたが真逆である。精神衛生上は良いように思う。そりゃ大変なこともたくさんあるが、満員電車を降りた後には完全な自由がある。学校とは異質である。学校は、私を死ぬまで追い詰めていくことを目的としている化け物たちの巣窟でしたが職場ではそんなことしてたら会社というのか仕事が成り立たなくなる。だから、私を殺すことに焦点を絞ったままにはしない。ただ、いつまでもいつまでもトレーニングばかりに時間を割いているわけにはいかない。トレーニングが自分の血肉となっていったと実感できたならば、次のステップを考えないといけない。しかし、最近face bookでもたついている自分がいる。慣れない、本名に慣れない。facebookに書き込みするたびにやはり、私をあざけり、顰蹙する存在、含み笑いをする存在の顔が浮かんでこびりついて離れない。ま、それもまた今の私に必要な試練の一つなのでしょう。今私が考えていることは、いじめ後遺症の深刻な問題は間違いなく深刻であるには違いありませんが、私の場合に限ってみれば、かなりの大前進というのか、かなりの青空というのか、おおやけとしての いじめ後遺症を語りながら、自分に今当てはまらない苦痛について話してはいないか、それが悪いということではなく、自分個人の今の現状はこうですということを伝えるときに、もっと喜びを込めてもいいんじゃないかと思うことがあるんです。ぼくは、まだ、いじめの毒矢が無数に飛んできていたたかだか数年前と同じように、無数の毒矢を警戒しているのかもしれません。最近は私個別のいじめ後遺症で大変なことは何かというのを整理していて、ネットでは書けない2つのことを今見つけています。自分の勝利史、社会を世界を変革していこうとした自分、実際に変化した世界の姿を見て、ひとつの大きな達成感を持っているといってもいいのかもしれない。いじめ後遺症は5年ごとに軽くなっていく。20歳、25歳、30歳、35歳、40歳、と。自分の今を見つめるということをやってみた。

次は、今のいじめ問題の現状について、何がどうあるべきなのかを次回は考えていきたい。あ、そうそう。私がフルマラソンに挑戦しようと思えたのは、いじめ後遺症がずいぶん楽になってきたという大きな実感があったからです。いじめ後遺症を抱えてる状態は本当に過酷ですから、「あんたもマラソンぐらいしなさい」という安易な声かけは絶対にしてはいけませんよ。