晴れわたる青空の下で -15ページ目

晴れわたる青空の下で

人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

いじめ被害者本人にとって、いじめ被害による心身の痛みの反応。
体が痛かったり、こわばったり。
加害者への憎しみや怒り、その中には、部分的にまたは全体的に、正義、義憤(私憤ではなく多くの人々のためにという怒り)も含まれることは、とても自然なこと。痛みに対する直接的な反応に、正義や義憤が含まれた怒りや憎しみが出てくる。痛みが無くなれば、反応的な怒りや憎しみは薄れる。この痛みには大きく分けて二種類ある。ひとつは、いじめという直接的な痛み、もうひとつは、いじめ後遺症という間接的な痛み。後者はコロナウィルスに対する不安と考えるとわかりやすいのかもしれない。実害がなくても不安はある。実害がないのならば、痛みは無いのかというとそうではない。いじめ後遺症というのは、煎じ詰めれば、とても単純なキーワード「不安」というものか残る。残っているのは「不安」だけではないのだが。強い不安が自死へと追い込むことがある。実質的な痛みと、不安からくる痛みと、この二種類の痛みがそれぞれやわらいだ状態になることで、automaticに起こっていた痛みと怒りもやわらぐ。風邪をひいている時には気がつくあらゆることも、風邪が治ると、全く意識しなくなる。
いじめ被害者当人のの特長のもうひとつは、当人であるが故に、いじめといじめ後遺症の痛みが無くなると、反応的な痛みに伴う怒りもうんと減る。例えば、お医者さんや看護師さんは、その二つの痛みをやわらげるための研究を続けている。お医者さんや看護師は、常に風邪をひいているのかと言えばそうでは無い。いじめ被害者当人以外の人々の尽力と研究がどれほど大切で有難いことかということ。だから、いじめ被害者当人の特長と書いている。