いじめ後遺症、今の私の場合
いじめ後遺症は様々なレベルでいくつかのものがある。症状が切迫し、重い場合がある。痛くて苦しくてしかたがない。
自死に向かう危うさが高い。自死選択は、いじめ後遺症によっておこる。
当時の私の場合を詳しく書くなら、暴風雨にさらされているような状態。
歯を食いしばって耐えておかなければ、油断を一瞬でもしてしまうと、指が外れて暴風に吹き飛ばされてしまう。
暴風雨は小さなファクターで、社会と、社会の風潮を作るテレビの酷さ。尾木直樹さん以外は、誰の説も聞いてられないものだった。
更にバラエティ番組による暴力。
例えるなら、断崖絶壁に指一本で崖にぶら下がっている。
が、ぶら下がってはいるが、かなりタフ。
強烈な暴風雨が吹いている、思いっきり乱暴に、笑いながら金棒で撃ちまくる人、怒鳴りながら、金棒で撃ちまくる人、こっそりとしゃがみこんで僕の指に太い針を刺す人が数名。
ラグビー選手ですかというくらいの人数の屈強な人々が油断なくスクラムを組んでこちら見て叫んでいる。美しい女性も、優しい女性も、賢い女性も、皆が、蔑み、見下し、非難の声を浴びせている。断崖絶壁を覆い尽くすような大音量で、落ちろ! 落ちろ!と狂ったように笑って叫んでいる数百人の人々。
早く落とせよ!
なにモタモタしてるんだ。
とヤジがあちこちで飛び交う。
鷹だか鷲だかが、ぶら下がってる人間の背中に爪をたてる。
そんな感じかな。
もっと正確に書きたいが、詳細に書くのは今はまだ難しい。
いじめ後遺症が酷く、引きこもりの状態の比較的初期の場合には、このような状態にある場合があると思う。
これについては私はかなり痛みや苦しみはひいている。対人恐怖、それに寄る情報経験の少なさ、これはまだある。ただ、これがあっても生きていける。
例えるなら、身体に障害のある方が社会の中で生活ができるように、不便さなどはあるが、生きていける。
事件で目を傷つけられ負傷し、失明した場合を考えてみる。
見えないパニック、目の痛み、精神的負担、社会生活の困難と不安、犯人への憎悪など、が今の私にはほとんどない。ただ視力が全くないというだけのこと。
こう書くことが、今の自分を表すのに近い表現ではないだろうかと思っている。
また、心ある人のなかには、「今、いじめ加害経験者の人々こそが、暴風雨で断崖絶壁にいるのではないだろうか」と思いを馳せる人もいると思う。
今私には完全な否定は上手くできない。
ただ、考えて見て欲しいのは、いじめに苦しんだ人というのは、何ひとつ責められるべき落ち度がないのだ。
いじめ加害者は、未成年などの理由により、厳しく非難されることもない、滅多に逮捕もされない。
更生という観点から、充分な教育を家庭で受けていないからとなり、まさに障害者の方に接するように手厚く人々が彼らのケアをしている。
いじめ被害者は、これだけのケアを受けることができているのかというと、ほんの一部の人しかそういった手厚いケアを受けることができていない。思春期病棟などに入院したり通院したりするところまでいかなければ手厚いケアを受けるということはない。しかも、それを受ける頃には、とてつもない重篤な状態に陥っている、さらに、そこで、判断がされないまま、自宅で家族に誤解を受けたまま、ナマケモノとして生活している人もいる。
加害者は、また、とんでもない犯罪を犯すのではないかと家族はヒヤヒヤして過ごしているのかもしれない。
ウィルスに例えるなら、加害者の場合は、他者にウィルスを撒き散らす可能性が高い。被害者の場合は、家の中だけで厳重に隔離をしているので、他者への感染はまずない、その家族だけが亡くなり、そこに誰も支援も対策もしていない。他者への感染の可能性がないから。
不謹慎な例えかもしれない。
今回のブログの特長は、間違えている可能性が高いということだろうか。
間違えているかもしれない内容を書けるくらいに、環境が整ってきているということだろう。
ただ、全くの間違いというわけではないように思う。
君の澄んだ目で、何が間違いで、何を考えないといけないことなのか、を、君の心に問うてほしい。