困ったね……。
テレビで、10代の頃いじめ被害経験に遭われた方による発言が、今いじめに苦しんでいる10代の人々を深く悩ませてしまう発言が時々ある。
7月19日サンジャポでも、そんな発言があった。
いじめ被害を経験した人が語る間違ったいじめに対する認識、サンジャポの場合は負のオーラを改善していき自分を開拓していく努力をしていくことが大事ではないかという内容……。
今の時点で政治レベルでのバックアップは必要不可欠だとは思うけど、それだけではいけないな。
完全な解決にはならない。
テレビの人々には、うんといじめについて厳格な配慮をかなりしていただいている。
本来テレビでの表現は自由であってほしい。
ただ今までがあまりにも、無意識のうちにいじめ被害者を追い詰める内容だったから、せめて、この部分だけはきちんとラインを引いてくれとの思いを訴えてきた。
土田さんもかなりつらいいじめに遭われたことを話されていた。
それを振り返り今は、あの時の自分をこう思うという部分まで言いたくない。
それでもね、今はそんな人権という物差しで計った時にズレが生じるような生の声が時々テレビから流れるけど、やっぱりもっと私たちが大きなうねりを作っていじめに対する認識を広く高くもっと軽やかに明るく真剣に気風を築いていかないといけないと思う。
もちろん、テレビが、いじめ被害経験者に、あえていじめにあう人間にも悪い部分も少しはあると語らせることが増えていくようなら、全力をあげて、またテレビと戦い、そのズルさを操作している人間たちを徹底的にテレビから叩き出すことを私は誓う。
でもね、そんな発言をテレビでしてしまうそれぞれ艱難を越えてきた人々が、「これが今思う私です」と宣言することの何が悪いとも思うわけです。
その姿そのものが、良いとか悪いとかではないと思うんです。テレビに向いている発言かどうかだけです。
彼らの感じ取っている今振りかえる中学生時代のいじめ被害経験、それについてどうこう評価することは、その人の今の成熟度について口を出すことにもなりかねないかなと思います。
ここでいう成熟度とは、一言でいうと「つまずき」となるでしょうか。
私も含め、そんな「つまずき」を一生抱えて生きていくのかもしれないということです。
私もこうあるべき――過去のいじめをどうとらえるかの成熟度のこと――との理想はありますが、自分の気持ちが理想に追いついていないということがありますね。
この個々人の成熟度は良い方向に常に変化していくものだと思いますね。
時に揺り返しはあるでしょうがそこは楽観してもいいのかもしれません。
危険なのは、過去の彼らの発言を切り取ってそれをその人の今も変わらぬ認識として、浅はかに利用してしまうメディアでしょう。
彼らのいじめ被害による可塑性を見るとき、成熟度が低い発言をされている場合、同時に本人が抱えるつまずきによる不自由な鎖が見えてしまいます。ギクシャクしてつらそうだなと。