残念だけど、いじめは加害者との話し合いで僕の場合は解決しなかった。どんなに、いじめはやめてと訴えても、被害者の僕が元をただせば悪いんだと、加害者はずっと思い込んでいた。
僕も、自分が悪かったんだろうか、とか、自分にも悪い部分があったんだろうかと反省もした。だけど、それ自体が間違いだったんだ。
いじめに苦しんだ私は何一ついじめられてもしかたがない理由などなかったのだ。いじめられた私には0.1%も悪かった部分などない可能性について考えた。25歳くらいまでの10年間考えたことがなかった。
私は10年間、ずっと、いじめられた自分も多少悪かったのだと、間違った思い込みをしたまま生きてきた。いじめられる理由や原因があると思い込んでいた。
いじめは、いじめた側が千パーセント悪い! そう聞いた時、全ての肩の荷が降りた気がした。よくよく検証してみたが納得できた。いじめられた人には原因がないとわかった。
僕は、自分のいじめられ続けている原因についてとことんまで悩み抜いていた。自分がこの世に誕生してしまったこと事態に原因があると思うようになっていた。
自分が産まれてきてしまったこと自体が周りに迷惑をかける原因なのだと本気で信じていた時、世の中は真っ暗で風景はモノクロだった。自分だけが奴隷で他者はちゃんとした人間だと思っていた。
奴隷として生きている人もいるんだから、もっと奴隷にも生きやすい社会を作ってくれと思っていた。
自分にいじめられた理由も原因もなく、悪かったのは全ていじめをしてきた人間だと思えた時から自分は奴隷だとは思わなくなり始めた。
つまり僕は、世界は闇ばかりで人々や風景はモノクロにしか見えない時を10年以上過ごしてきたのである。
自分は、奴隷として産まれてきたのだと、10年以上悩み信じようとしてきたのである。
希望がなかったかというとそうでもなかった。真っ黒い風景。空に、月より小さめのとてもまぶしい穴が開いていた。
その光は町や風景を輝かせることはなく、風景は真っ黒で人の姿は照らされず見えなかった。真っ黒なままの世界。だけど月よりもずいぶん強い光だった。美しくなんてなかった。
全体の風景として汚なかった。照らしきれない光が真っ黒な現実をより鮮明にしているようにみえた。相変わらず世の中は汚く暗くてため息をついていた。月より小さめの光の部分だけは強烈だった。
その光は、私にとっては全くの無縁の存在に思えた。望んでも光の暖かさの片隅にも当たることは永遠にないと思っていた。
今僕は、まぶしくて、暖かくて、優しくて、明るい光の中で生きている。真っ黒な世界での生活を忘れてしまうほどの時間を過ごしている。
生きてるといいことあるよと大人は言う。それは本当だった。何が良いことかは人それぞれだ。真っ黒な世界のままでもいい、あきらめず生きてると、いいことがあった。
あきらめないことで僕は今10年近く暖かな光を浴した生活をしている。光を浴した生活に慣れるまでずいぶん時間がかかっている。
いいこととは、第三者から見て、誰もがうらやましがるようないいことなのかというと、それもあったけど、それ以上にいいことがあったのだ。
真っ黒な世界の光が僕の周辺にまで降り注ぎ、暖かさを感じ取れた。これは、ずっと僕が悩んでいて手に入れられないと思い込んでいたものだった。
だから、死んではいけない。花のつぼみのように固い時期がある。花を咲かせよう咲かせようとどんなにもがいても咲かない日がある。 今はつぼみの時期だからかも。時間が経過していくと自動的に花が開いていく時期がくる。 咲かせないと咲かせないととあせらずとも、勝手に自動的に花が開いていく。あなたには開花の時期が必ずくる。 開花の時期がくることを信じるも信じないのもあなたの自由。開花の時期が来た時に、その準備をしているかしていないかでまた違いが出てくる。
僕は、開花の時期がくることを全く信じていなかったからこそ今戸惑っているし後悔している。ただ救いは、真っ黒な世界のままでもいい、奴隷のままでもいい、とにかく絶対にあきらめなかったこと。