違う。そうじゃない。
一番早く手掛けないといけないのは、休学をしても大丈夫な制度と書いたけど、それだけじゃない。
被害者の命をまず第一に守らないといけないと書いたけど、それだけじゃない。
いじめ被害に遭うそれだけで、被害者以外には理解されがたい立ち位置に立たされる。強烈な環境で、必死にキャラクター作りをせざるをえない状況に追いつめられる。
ここでいうキャラクター作りというのは、キャラを演じるなどという表層的なものではありません。
キャラ作りとののしる加害者論の卑劣さについてもあらためて考えないといけないが、今回は考えない。
ここでいうキャラクターとは、路上に生えた大根が近い。
本来、畑などの土壌に種を蒔かれ、畑で大根は育っ。
しかし、どんなきっかけなのか種が落ちたのは道路の下。
そこから、アスファルトを突き破って成長を遂げた大根。
出来たものは、見た目も性質も同じだが、環境が違いすぎる。
ただ、この道路で育った大根について僕は話したいわけでもない。
キャラクター。
厳しい環境の中で、環境に負けずに進化していった動植物。
南極大陸で、サハラ砂漠で、深海で、ジャングルで、沼地で、生きていくしかなかった動植物の環境に負けない進化。
これこそが今回僕が言いたいキャラクターではないかと思う。
いじめ被害者もまた独特な進化をしなければならない、独特な進化をせざるを得ない、独特な進化をする以外に選択肢が無い、という状況がある。
これはそのまま、人間の進化の先駆者という位置付けになってくると思う。
新たに進化し、誰も見たことの無いようなキャラクターを作りあげていく人なのかもしれない。
このレベル12の命を左右するような風評は、改善されてきたという現実を見て、果たしてレベル10からレベル6くらいまでのものについても、改善していくべきなのかと、自分自身に今、問うている。
自分で立ち上がる力さえ残っていないような状態からは、今、回避出来ている環境まできた。
もちろんまだ個別に考えれば、レベル12以上の問題を抱えているいじめ被害者がいることを絶対に忘れてはいけない。
この世界全体を覆うレベル12の風評を切り裂いたなら、暴風雨の吹きすさむ状態を回避出来たなら、次にやることは、何なのか。
それは、彼らの究極の強さや、究極の明るさについて目を向けるべきではないか。
朝日を浴びて1人立つ、たくましい、道路に育っ大根のような神々しさ。
この究極の強さと、この究極の明るさについてもっとアピールする機会を増やさないといけないんじゃないのか。
音楽や芸術、文学やあらゆる仕事、調和の精神の深さ、思慮深さや、究極の忍耐力、どんなに叩かれても立ち上がる不倔の精神。
いじめ被害者讃歌を、世界各地で合唱していくべきではないのかと思うんだ。
誰も聴いたことのない音楽
誰も見たことのない絵画などの芸術
誰も感じたことのない優しさ
これらを、いじめ被害にあった人々全てが秘めている
これらの高いポテンシャルを、いじめ被害者自らが引き出し、表現していくべき【時】なんじゃないかと思う。
人と人とを断絶するための言論ではなく、
人と人とを豊かに結びつけていく言論を、いじめ被害者が生み出していくべきだ。
いや、いじめ被害者でないと生み出していけないのではないだろうか。
自分の心証風景だけを描きたいわけじゃなく、
友情について、愛について、正義について、連帯について、強さ優しさについて、触れあうことについて、深い善良さについて、理想のコミュニティについて
いじめ被害者が描ける絵画は無数に存在するはずだ。
単一的な作品ばかりを、世の中から求められ、いじめ被害者は、それに応えるために疲弊してしまってはいないだろうか。
僕が私が表現したいのは、そんなことじゃないんです、と。
レベル12の風評をはねのけることが可能だと私達は示しておいた。
あとは、君たちが恐れずに、理想を語り、理想を描いてはみないか。
もちろん私もやるつもりだ。
ゴスペルのような人間の善性を真面目に歌えていく。
これらの歌に強い真実味を滲ませて歌えるのは、日本では、いじめ被害者が先頭に立つ以外にない。
チャラい歌も良いけど、美しい心と強い信念を感じさせる歌声も大事だ。
日本でゴスペルのような音楽を作れるのもまた、いじめ被害者だ。
そう思う。
まずは、歌を作ること。
作曲すること。
作詞すること。
まずはそこから。
この曲のPVの構成を細部まで想像して、実際に映像化してみるのもいい。