いじめられた側には、悪いところなどは1%たりともありません。
柔軟に冷静に考えると、悪い部分を持たずに生きている人間などいないでしょう。
全ての大人もそうでしょうし、私もそうでしょう。ましてや成長過程にある十代の彼らであれば、悪い所、欠点や短所はたくさんあります。
しかし、すぐに治せるものと、簡単には治せないものがあります。
いじめられた人が、「悪い」という理由で、いじめられてもしかたがないとか、いじめられてた人の「悪い」部分が原因でいじめられたんだと、したりがおで分析してはならないと思います。
クラス全員に悪い部分、治さなくてはならない悪い欠点や短所があるのでしょう。
だからといって、それを、いじめられて、仕方がなかった原因として分析するのは絶対におかしい。
いじめ以上に悪いことなど学校内にありません。
○○さんのいう通り、私自身も、常に大人として、いや、一人の人間として、毎日毎日、身を切るような厳しい自分の意見の見直しをしています。
更に、私が踏み込んだことのないことを少しだけ書きます。
いじめた側が千パーセント悪いのを前提として、書きます。
そして、数百通りある「いじめの種類」や「いじめの背景」のうち、一つを選んで書きます。
そのいじめとは、「制裁型」いじめです。
いじめを正当化することなど断じてできません。
しかし、いじめてしまう幼稚な彼らの考える過程を想像してみると、
クラス内または、学校内でいじめ被害にあってしまった人が、何らかの失敗をしてしまい、それが、クラスメイトや友人にとっても、許すことの出来ない内容だったします。
先生や、誰かに相談しても、とくに、厳しく注意されることもないまま、のほほんとその人は生活しているように見える。だから、複数人で、本人に注意してみるが、もうひとつ、理解していないようで、何が悪かったのかがわからない。
それは、ある友達が、先生やクラスメイトの前で恥をかかされたと強く感じたのかもしれない。
そんな時に、先生が、厳しくその子に注意を与えなく、悔しくて、「先生が何もしてくれないなら、私たちでやろう」
と、一番やってはいけない、「制裁」型いじめをしてしまう。
相手が落ち込んで、苦しんでいる姿を見るまではやめないつもりが、制裁が強くなりすぎてしまい、取り返しのつかないまでになってしまう。
いつのまにか、自分たちの方が悪者になっているのに気づきはするが、
どの段階で「制裁型いじめ」をやめたらいいのかわからなくなる。
いじめをやめる基準は、いじめている側のイライラがなくなるまでと考えてしまう。
だから、イライラするたびにいじめてしまい、「お前が悪いんだからな」と思い込んでしまう。
そのイライラは、自分が上手くいじめをやめられない罪悪感や、やりすぎてしまったという強い後悔や、周りの、いじめた側への冷ややかな目が重なったりする。
この一つの憐れないじめた側の人々の気持ちをもう少し考えてあげると、
苦しい思いをした人がいて、先生がそれを聞いたなら、きちんと、話し合いの場をもって、丁寧に、その人の気持ちを代弁してあげなければなりません。時に厳しく、「あなたが、何気なくやってしまったことで、あの子は傷ついているんだよ。先生も一緒に行ってあげるから、ちゃんと謝ろう」
と厳しくなってもいいから、伝えるべきだと思うんです。
それが出来れば今回例にあげたケースは、いじめに発展しなかった可能性が少しはあります。
それでも、いじめた側が千パーセント悪い。
子供に、「制裁型」いじめを絶対にさせてはいけません。
このケースでも、いじめられた人は、千パーセント悪くありません。