青春リアル | 晴れわたる青空の下で

晴れわたる青空の下で

人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

中学校の教室を思い返してみます。
複数の教室を移動する日々。理科室、英語のクラス、音楽室、体育館、家庭科室、そして教室。
1時間目から4時間目まで授業があり、給食、昼休み、5時間目と6時間目。
ホームルームの時間があり、部活で汗を流す。
私の場合、授業中が唯一、いじめが起こらない時間でした。
1時間目の前、給食に入れられたゴミ、昼休みをどうやりすごすかを工夫する日々。休み時間に、イスの下に押しピンを仕込まれ、教科書をゴミ箱に捨てられ、着替えの時間に、腕は紫色になり、家庭科室でリンチされる。部活では、タイプの違う加害者が役割分担をして、ありとあらゆる嫌がらせをしてくる。
帰りには、自転車のタイヤをパンクさせられ、英語や音楽の時間には消しゴムのカスを後頭部にぶつけられ、振り返ると数人がクスクスを笑ってて誰が犯人か判らず疑心暗鬼になる。
下校時には、ある部活の先輩と同級生のカバンを4つまたは5つ持たされ、指がちぎれるほどに痛かった。その彼らに、意味もなく胸ぐらをつかまれ、蹴られ、ビンタされる。
音感室で異様な騒ぎ方をしている同級生。歌を極めて下品な替え歌で歌い、辟易としていた。
視線を向けると、
「見るな、ボケ、死ね」
と罵られる。
5時間目前に、水筒にクワガタ虫を入れられ、理科室では気持ちミミズをうずくまる僕の背中に落とす。
私をいじめた主犯格は16人。それぞれがタイプの違ういじめをしてきた。
もちろん名前は全部覚えている。
パンク魔は3人、暴力を振るうのは、3人、軍人みたいなのが1人、部活では4人、近所に2人、先輩が6人。
重なり合う人もいる。
女子も私を遠慮なくけなしていた。
お調子者の傍観者の悪のりが2人。
枕は、涙でいつもグショグショに濡れていた。
希望を見つめる日記を書いていた。
となりのクラスでは、女子が被害者となっていた。
私の実感は、
「みんな呑気だな」
だった。
掃除を押し付けられるのは日常茶飯事だが、掃除は好きだった。
毎日「死ね」と誰かに言われていた。
あえて冷たい態度をとる人、
「いつまでもいじめられるなよ」
という今思えば訳のわからない責め苦。



学校にセーフティネットを。
いじめ被害者に特化したセーフティネットを。
これは、別の場所で徹底的に検証を重ねていきます。教室でのいじめを止めるために具体的に何が出来るのか。
同じクラスで20人から40人の生徒が1年という長い過ごす。
私は学校カーストという言葉は大嫌いだが、
ゆうさんが書いていたように、4月または5月、6月のうちに、人間関係が固まってしまいやすい。
江戸時代の「士農工商、エタ、非人」
という身分差別を授業で扱った時に、いじめ加害者は、ある生徒を、「エタ、非人!」と、ののしった。
そしたら教師が珍しく激怒した。
今思うと、彼らいじめ加害者は、いじめ被害者という被差別者を決定したがっているかのようだった。
一息をつく気持ちのゆとりさえ無い生活。
常に責められ笑われる立場に身を置いている。
人間の誇りを感じるのは、授業中だけだった。
作文を書いて発表する機会はあったが、クラス全員からの使い走りのような存在だった。
ただの使い走りなら、それぞれの人の要求に答えれば済む話だが、要求の内容があまりにも、ひどい。
クラスの中では、他の39人に人間扱いされない。
それを教師が気づかない、または見てみぬふりをする。
人間の尊厳を踏みにじられ続けると、自分を軽視してしまい、他者に対しても深い所で軽視してしまうようになる。さらに、いじめ被害者同士で「私たちは人間の誇りを持たないモノとして選らはれた者だ」と考えてしまい、
「なぜあなたは、人間としての誇りを持たないモノであるのに、そんなに主張しようとするのだ。私はゴミのような自分を受け入れている。あなたは受け入れていないのはおかしい」
と、相手を軽蔑してしまうようになる。
自分が軽んじられるのは当たり前だと思うようになる。これが問題なんだ。
学校にいる間、多くの生徒は性善説の立場をとる。
いじめ加害者の多くは、性悪説の立場をとる。
中学生だった私はどうか。性善説の立場をとった。どんなにいじめをしようが、彼、彼女にも良いところがあるはずだ、と強く信じていた。
しかし、最後まで彼らは、私を被差別者として扱った。卒業後も随分、良い方に解釈しようと長年考え続けてきた。
大豪邸の主(クラス39人)と、お手伝いさん(私)という関係性であったのではないかとも思った。
だけど、お手伝いさんは殴られない、お金も取られない、悪質な意地悪もされない、第一、お金をもらえない。
では、ボランティアか。
私はクラスメイトにボランティアとして扱われていたのか。いや、ボランティアなら少なからず敬意を払ってもらえる。彼らは私に敬意を払っていたか。いや、払ってはいない。
では奴隷か。
奴隷とは他人の所有物として取り扱われる人。
人間としての、名誉、権利、自由を認められない。
奴隷まではいかない。
が、人間としての権利と自由、そして名誉が教室にはあるのか。
一つの教室を一つの社会として考える時に、権利も自由も名誉も補償されているとは言えない。
いじめがあるから、苦しくて勉学に集中できないと主張することさえ、教わる機会がない。