いじめの本質とは、死を意識するほど悩み苦しんでいるいじめ被害に遭った小中高生が今、実際にいるということです。
いじめ後遺症について書きます。
今回の結論は、「かつてのいじめ被害者に、『人間力』を取り戻す教育を受ける場所を設ける必要がある」です。
いじめにより長年私のように苦しんでいる人が多い。
知らぬまに、いじめ被害にあい、気づかぬうちに後遺症に苦しむ。
いじめ被害と今の苦しさ生きにくさを結びつけることもできないままの人も大勢いると思います。
いじめ被害者は、いじめ被害に遭うことで、いじめに遭う前と性格が変わる。
いじめ被害者特有の性格に変わる。
いじめられる前の性格や性質は千差万別です。
いじめる側のエラーにより、いじめのターゲットとなるのですから。
いじめ被害者は実際に様々なモノを奪われます。
中学生として、享受できるはずだったモノを多く奪われます。
教科書を開けば悪意ある落書きがあります。
教室に入れば残酷で冷たい沈黙にさらされます。
美味しいはずの給食には様々な異物が混入されています。
椅子に座れば押しピンにより、お尻に激痛が走ります。
机に手を入れれば腐った生ゴミで手に不快感がまとわりつきます。
笑いかけることで笑われ非難されます。
音楽室で後ろから、消しゴムかすをぶつけられます。
道徳の授業で受けてきたこと、両親や家族から教わってきたことを、すべて否定されてしまいます。
友達は大切に
嘘をつかない
辛抱強く
努力すること
真面目にすること
笑顔で挨拶すること
こちらから話しかけること
勇気を出すこと
人の目を見て話すこと
困っている人がいれば親切にすること
女性を大切にすること
がまんすること
元気に遊ぶこと
授業中は静かにすること
音楽を楽しむこと
すべてをいじめ加害者に否定されます。
厳しく正しいことを言う大人が周りにいなければいないほど、いじめ加害者が厳しくて怖い存在となり、いじめ加害者による幼稚な嘘八百にだまされ、あらゆる資質をいじめ加害者にすり合わせるために棄てていく努力をしなくてはなりません。
友達が出来る素養があっても、いじめにあい泣いている姿ばかり見ると、この子は弱いというレッテルがクラスメートの心の中に貼られていく。
年がら年中いじめ被害にあっていれば、
「これだけ長い間、いじめられているんだから、この子はよっぽど性格が悪い」
という誤解がクラスメートのみならず、教師や親たちにも蔓延する。
こんなにいじめられるなんて、どんだけ悪い子なんだろうという評判。
こんなに泣くなんてどんだけ被害妄想が強くて弱虫なんだろうという評判。
そんな見方を誤った評判を、いじめ被害者本人でさえ、真実だと思い込む。
だから、弱い自分を変えないとと、必死で努力する。
自分は甘えているから甘えを排除していこうと、擦り切れてしまうまで自分を追い込む。
臭くないのに臭いと言われ、風呂場で二時間かけて隅々まで体を洗う。
そんな極端な性格に、いじめ被害者は騙され、なっていく。
クラスで滑稽な振る舞い方をしてしまうのは当然の帰結です。
風が吹いても痛みを感じる痛風のように、いつでも神経過敏になる。
その様子がクラスメートや教師から見れば、壊れたマリオットのように映るのだろう。
その壊れたマリオットのような自分を変えるために、好かれるように懸命に努力をいじめ被害者はするのです。
しかし、また打ちのめされる。
自分が貝になるという方向転換をすると、暗い、無口、気持ち悪いという批判に変わる。
貝どころか石になるしかないと思う。
親たちが教えてくれた教えを封印したり、棄てたりを必死になって繰り返していく。
中学校という名の地獄から抜け出した後は、平穏な大地に立たされる。やっと蜂達による過剰攻撃される場所から抜け出したかと思いきや、壊れたマリオットを改良したものは、ほとんど動かなくなっていて、ありのままの自分で振る舞えなくなっていることに気がつく。
この段階で必要なのが、「『人間力』を取り戻す教育を受ける場所」なんです。