二人の少年 | 晴れわたる青空の下で

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人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

いじめは、いじめた側が千パーセント悪い!


いじめをされている13歳の少年が一人いる。


この少年には、短所や欠点、甘えや失敗、間違いやルーズさは何ひとつ無いのかというと、そんな訳はない。

同じ13歳で、いじめという「悪」をしてしまう人も、万引きという「悪」をしてしまう人も、同じように、甘えや失敗、間違いやルーズさ、短所や欠点がある。


たとえ、いじめの標的とされてしまった彼が、他の同級生よりも突出した失敗や間違いをしてしまったとしても、その失敗や間違いがいじめられても仕方がないという理由にはなりません。

私の場合、中学生の時に、給食当番をしたある日のこと。


少し記憶が曖昧であるが、三角巾を頭に巻き、給食当番用の簡易なユニフォームを着て、マスクをするのが当時、給食当番のスタイルだったように思う。

三角巾とユニフォームを入れる小さな袋を持ち帰り、家族に洗濯してもらっていた。

ある日、マスクをつけて、ご飯をプラスチックの器によそう瞬間があった。

その日は、比較的にいじめをしてしまうその同級生は、落ち着いていた。

私は、ご飯をよそうのがヘタだった。

しゃもじをご飯が入った寸胴鍋に突き刺し、ザクッザクッという調子で二回に分けてご飯をよそった。

見た目も悪く、

「うまくいかないもんだなあ」

と内心で舌打ちしていた。

するといつも私をいじめている少年がその姿を見てこう言った。


「おまえな、そんなにしゃもじを突き刺したら、ご飯の形がおかしくなるだろうが。もっと鍋の中のご飯をほぐしてから、入れろよ」

少年は、私の持っていたしゃもじを取り上げ、美しい配分でご飯を器によそいだ。

「たいしたものだな。かなわないや」


と自分が情けなくもあり、少年のアビリティーに舌を巻いた。


この一点を見ると、社会常識というのか、生活感覚というのか、そういった能力は少年の方がたけていた。

私は、恐らくクラスで一番、ご飯をよそうのがヘタだった。

一事が万事だとして、生活感覚が鈍かったかもしれない。


しかし、それがいじめられても仕方がない理由にはならない。

いじめが発生することで私自身の本来の欠点が見えなくなってしまう。


ご飯をよそうのがヘタなのは悪なのか。当然「悪」ではなく、未熟さからくる失敗である。

誰がどんな言い訳をしようと、いじめは絶対に「悪」だ。


何年か前、五人でラーメンを食べにいった。

外食をほとんどしない私の住むアパートの近くを移動していて、ラーメンを食べようということになった。


一人が、とあるラーメン屋を見つけ、

「ここうまいですか?」

と聞いてきた。
一度、行ったとき美味しかったので、

「美味しいですよ」

といった。


そこに決めて店に入った。


その日は、みんな疲れていてピリピリしていた。


味は不評でみな、ため息混じりにまずいと言いながら、ラーメンをすすっていた。


私は当然気まずかった。

ラーメン屋の選択を間違えたのは「悪」ではない。


そんな失敗は、程度の差こそあれよくあることだ。


車のなかで、みんなに「ごめん」と謝ると、


「いや、気にしてないっすよ」


と言ってくれた。


ふざけたような話に見えるかもしれませんが、

いじめをしかけてくるきっかけなんて、こんなものなのだ。


その程度の失敗を10代のあなたはしてしまったにすぎない。


だから、あなたには生きていく権利があるし、存在価値もあります。生まれてきてよかった存在なのですよ。



小さな失敗が長く尾をひく、ということを書きたい訳ではありません。



どれほど気をつけて生活していたとしても、誰にでも起こりうる失敗にすぎないのです。


私が今でも五人から、非難がましく思われているかというと、まったくそんなことはありません。そんなことがあったことじたい忘れているでしょう。

ですから、いじめ被害と言うのは、原因と結果がてんびんにかけた時に、イコールの重さにはならないのです。


つまり、あなたが死を考えてしまうほどのいじめ被害と、ラーメンを間違えて少し残念な思いをみんなにさせてしまったこととでは、重さがまるで違うのです。


「絶対に許してはならない悪」と「未熟さからくる失敗」とでは質も量も全然違うものなのですよ。


丁度、ヴィクトル・ユゴーが書いた「レ・ミゼラブル」と似ています。

パン一個を空腹から盗んでしまい、19年刑務所に入れられた主人公に似ている。

もちろん、空腹であったとはいえ、パンを盗んだことは、犯罪であり、悪です。

どんなに大変な理由があろうとも、泥棒した方が100パーセント悪い。


わたしたち、いじめ被害者は、レ・ミゼラブルの主人公よりも過酷で理不尽な試練に耐えている。

いじめの鎖を断つといっても、具体的にはどんなものだろうかと改めて考えてみた。

いじめの鎖のひとつは

中学生時代のいじめ加害者を、いつまで自分の生きていく上の羅針盤として影響されているんだ! ということです。

ワンピースの歌にも、古い地図は破り捨てろとあるのに、


私たち、いじめ被害者は、いつまで彼らに植え付けられた不幸の地図を凝視しているのだ!


ということです。


この鎖にやられている人は、とても多いのではないかと思う。



当時のいじめ加害者の地図は、絶対に間違っている。

なのに、その地図ばかりを凝視しているから、振る舞いや考え方まで、馬鹿げた価値のない中学生時代のいじめ加害者の影響を多大に受けているのだ。

卑劣で無責任で、場当たり的で、冷酷で残酷な振る舞いを無意識的に手本としてしまっている。


自分がされたことを悪気もなく繰り返している。

そして、それが愚かな振る舞いであることにまったく気づいていない。

20代となったかつてのいじめ被害者の振る舞いの失敗を一歩深く観察してみると、彼らがどんないじめをされてきたのかがよくわかる。

この古い地図という鎖は、被害者本人の自覚なしに、強い影響を与えている。

大変な困難が伴うかもしれないが必ずやこの鎖を断ち切っていこう!





さて、様々考えていると、また新たな視点が生まれてきた。


バラエティー番組を考える。




先ほど、いじめには正当な原因などはなく、


いじめのきっかけについて書いてみた。


「絶対に許してはならない悪」



「誰にでも起こりうる未熟さからくる失敗」

これをバラエティー番組と私個人に当てはめて考えてみたい。

恐らく、近年のバラエティー番組は、いじめに対する配慮を充分に考えて、誠実に番組作りをしていこうとされているのが大半であると思います。


表方である芸人の皆さんも、多くの方がよく考えてくださっているなと、感心するほど丁寧に思索された痕跡が言葉の端々にうかがえる。視聴者とのより良い関係という誠実な姿勢が伝わってきて私自身もテレビの前で「ありがとうございます」と頭を下げることがあります。

27時間テレビは、コントの失敗であったと岡村さん御本人も語られている。私も恐らくそうなのだろうとは思いました。しかし、コントの失敗が、邪悪なあのいじめの光景に重なって見えてしまうという現実を私は目の当たりにしました。


当然、いじめを助長するためにバスケットボールをぶつけたわけではないのでしょう。しかし、あの失敗したコントは、まぎれもなく私が体験したいじめの光景そのものでした。まるで、いじめを題材としたリアリティのある映画を、突然まざまざと見せつけられたようでした。あれは本当に、私が経験したいじめの光景そのものでした。はじめに岡村さんを中居さんがなじり、福徳さんがボールをぶつける。女子アスリートの方達が同調して岡村さんにバスケットボールを笑いながらぶつけていく。そこにさらに、野球解説者の方まで、ボールを投げてくる。
あれは、制作者側の本意ではないにせよ、いじめの光景そのものでした。
ようするに、岡村さんの後日談を信じるなら、テレビの「未熟さからくる失敗」であり、悪意あるいじめ被害者に対する攻撃ではなかった。
ただ、あくまでも公共放送である人気のあるテレビ番組で、試行錯誤を丁寧にしていない場当たり的な即興コントは、結果、いじめの光景そのものとなってしまった。岡村さんに感情移入して、「岡村さんがかわいそうだ」と投稿されるかたがいて当たり前である。
失敗したコントは、いじめの光景そのものとして映ってしまうという現実。
これを期に、テレビの影響力について改めて考えなおしてほしいと思いました。
いじめは、多数対一人という構図です。
夜の七時からアダルトビデオを放送しないのと同じ理由で、越えてはならない一線を越えてしまった放送事故であったと私は認識している。
この時、矢部さんがいたら空気は変わっていたかもしれない。
東海テレビの卑劣なリハーサル用のフリップも同じである。テレビで放送されない時間であるリハーサルでは、あんな最低なフリップを日常的に使っているのかということになる。
どれほど、東海テレビの裏方は、または、裏方と共に仕事をしている表方は、そんな邪悪な意識で誰も注意せずに平然とリハーサルを進行させていたのか。
わざわざお金をかけてまであのようなフリップを使っていたのか。この東海テレビは全員による、悪意に満ちた蔑みである。

10年前、ナインティナインのオールナイトニッポンと、GO!GO!7188のオールナイトニッポンが続けてあった時、私はラジオを録音してよく聞いていた。矢部さんのうなずきの声がとても好きだった。最近は、オカザイルを見て、とても楽しかった。録画していたものは、10回以上見ている。
小学生ダンサーたちが笑いながら、岡村さんを踏んでいるシーンは見るたびに心がひどく痛む。そのシーンは見ないようにしている。


すべての芸人さんへ

なにかあったら反撃します。

……続きはまた書きます。