いじめはいけないという気風を世界中に築いていかないといけない。
私はこの1ヶ月びっくりするくらい勉強させて頂いた。
丁度1ヶ月だ。
実際に今いじめを受けている中高生または小学生の生の声を聞いてきました。
みんな純粋で、真剣で、強くて、優しかった。
我慢強かった。
大人なら簡単にはぐらかすようなこともせずに、怖れなく、自分の思いを訴えた。
中には私にとって手厳しい意見もあった。
でも、それも私のいい加減さを厳しく指摘されたのだと謙虚に深く受け止め心に強く刻みつけたい。桜さん、特明さんありがとう!そして、ごめんなさい。
いじめの事を中途半端に流すテレビに狂うほど頭にきていた。
あんなテレビを見て深く傷ついていないだろうかと心配で心配でならなかった。
私が、気づいているよ!酷いよな、あの発言は!そう思っている大人はたくさんいるよって、伝えたかった。
いじめに苦しんで、自分に生きる価値が無いんじゃないかと苦しんでいる中高生、小学生は多い。
そんな若い人たちに大人も捨てたもんじゃないんだよと、言いたかった。
まだまだ、大人側の努力が足りない!全然足りない!修行をやり直せ!そんなんじゃいじめ無くならないよ!
そんな思いを確かに受け止めました。
もっと言論を磨いて
まだ、いじめに対して甘い大人や世間の人々に納得していただけるように精進を続けます。
いじめの無い世界、絶対創るからね。
そして、私は、創価学会の青年部です。
私は池田門下生です。
私が話したほとんどは、池田先生が教えてくださったエピソードが九割です。
先生のエピソードと励ましに、私独自の思いを練り込みました。
私は、そちら側で宗教を勧めたい思いは、ゼロ%です。
まったく毛筋程もありません。
いじめを受けている人には、仏教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、そしてその他の宗教を持った人がいる。
だから、信仰の話はそちら側の場所では出すべきではない。
他宗教の批判も絶対しない。
大事なのは、今!いじめを受けて苦しんでいる人と、かつて、いじめを受けて苦しんでいる人の心だからです。
おんなじ人間です。
いじめを語る時は、信じる宗教や思想によって絶対差別しないという信念は、固くたもち続けます。
私は、確実に先生の励ましに生きる希望が持てた。
誇りを持って今生きています。奴隷みたいには、もう生きない。
そっちの世界では私の信念に基づいて言わなかったけど、私以外の人にも、このエピソードを聞いて、気持ちが癒やされる人が必ずいる。
それを紹介しないのは、私は、私を許せなかった。
この一言で元気が出る人が必ずいる!その一言で生きる希望をもってもらいたい!
私の思いはそれだけです。
どうか、ひとつだけ、そちら側の皆さんにお願いがあります。
それぞれの宗教の批判をしたい人は、別の場所でやってください。
その場所に来る人の中には、ご両親と共にそれぞれ宗教を信仰してらっしゃる方が必ずいるのですから。
いじめに傷ついているのに、人生のバックボーンまで大切な場所で傷つけられたらたまらないよ。
そちらの場所は、いじめについて考えるところです。
その一点だけはどうか忘れないでください。
最後に
そちらで今日紹介したかったエピソードを紹介して終わります。
アメリカでのランチ・カウンターの座り込み運動を皆さんに紹介します。
1960年ノースカロライナ農工大学の黒人学生四人が始めた運動です。
当時、町の軽食堂では「黒人の注文、お断り」とされていた。
ところが、ある日、雑貨チェーン・ストアの店内に入った四人の黒人学生が、少しの日用品を買うと、すぐに「黒人禁制」のカウンターに席をおろし、堂々と「コーヒーとドーナツ」を注文した。
店長が来た。言い合いになる。あたりは黒山の人だかり。ありとあらゆる侮蔑が投げつけられ、唾を吐きかけられ、暴行が加えられた。
しかし四人は耐えた。ひたすら耐えた。非暴力による抵抗を貫き、閉店まで座り込みをやり通したのです。
翌日も、その翌日も、同じように座り込みを続けた。やがて他大学の白人学生も加わった。
もちろん、彼らが注文したのは、「コーヒーとドーナツ」だったのではない。彼らが求めたのは平等の権利、社会だったのです。
この運動は、またたくまに広がり、翌61年9月までに3600人の逮捕者を出しながら、少なくとも七万人もの黒人と白人の学生が参加しました。
その結果、各地のランチ・カウンターで、少しずつ人種差別が撤廃されていったのです。
【参考資料・青春対話】
いじめを受けているあなたは何も悪くない!
いじめは、いじめた側が千パーセント悪い!
私は見守ります。
強くて優しい皆さんなら大丈夫です。
尊敬する十代の皆さんと、そちら側で励まし続けるかつての十代の皆さんへ