――思索――― | 晴れわたる青空の下で

晴れわたる青空の下で

人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

私が言うところの


『完全なる』人間の尊厳の回復

のためには



感謝と謙虚が私には必要ということか。



確かに

感謝と謙虚というキーワードは、片手間のように身に着けたつもりになっているだけで、


課題として取り組む

つまり

感謝や謙虚という原則に対して

私の場合には、それをしっかりと受け止めたくないという流れに対してしっかりと私自身が抗う必要があるということか。


今までとは違う未開の地納得ができないと言うよりは、うまく自分の内側に内面化出来ないと言うことは、私の欠点であり苦手分野であるかもしれない。


私が長年、いじめによって破壊されてきた善性、埋まらないワンピースの可能性が高いということか。


私はこの

感謝と謙虚の話を受け、感動した。

すぐにブログにアップしようとした。


でもうまくまとまらなかった。


人間として生きていくうえで大切な原則であることは自明の理である


その2つの原則をうまく取り込めなかった。


一日中、今日の生活をし、そのなかでずっと考えていた。


うまくまとまらないから、考えるのを止めようとした


一旦停止して別のことをブログに書こうと思ってた。


しかし、頭の中で書き出したブログは、いつもの内容の別バージョンの話だった。いじめの悪、メディアの悪、奪われた人間の尊厳、欠けてしまった何か、日時の経過。


私はそのブログを書いてまた、欠けてしまったものを探しに行くだろう。


その欠けてしまったものが

感謝であり謙虚であるのかもしれない。


自分を責めるというスタンスではなく


今まで見つけられなかったものを

『君が見失ってしまったのは、これじゃないかな』

という親切なアドバイスではないだろうかと、捉えるべきじゃないかと、私の中から消え入りそうな――励ましの声というのだろうか――暗闇の奥深くに墜ちていく蛍光の小さな点のような深海生物を見失いそうなところで、ようやく捉えた小さな光。


その小さな深海生物の光を写真に撮って、このブログに残します。




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この写真を見ながら、更に思索を日々深めたい。

今そう思います。


このブログを読む明日の『私』へ


これは否定じゃない。


欠点をえぐり出し、塩を塗る作業ではない。


小さな現実の自分から

理想とする大きな理想の私に向かうことのできる内容だが、


それは決して、陥れ、嘲笑の対象とするためではない


悲惨な人権侵害を受けた私達が見失ってしまった大切な宝物が何であったかを正確に思い返す作業だ。

そして、その宝物を逡巡せず受け取る作業だ。


遠慮せずに受け取り、大切にしていきなさい。


なかなか受け取れるまで時間もかかろう


それでも



意地悪で、私を辱めて私の自信を奪おうとする勢力に屈服することがないように。


そんな意地悪な人々は昔から大勢いたじゃないか。


何を今更心配し、震える必要がある?


私が落ち込み喜ぶ奴


私のことをやっぱり病人だったねと笑いたい奴


病人のなせるワザだねと陰口をたたく奴



最近でもたくさんいたじゃないか

甘えてるんだという奴がいることも知っている


そんな奴らの声を私はまた、真摯に受け止め、


暗く鬱々とした日々を送るのか



誇りを失うな


誇りを捨てるな


これだけ声を尽くしても

私の心は暗いかもしれない


そんな鉄鎖は断ち切ろう