「いじめられるほうに原因がある」ということで、よく言われるのは、いじめられて「言い返せない」弱さがあるから、そこに「つけ込まれて」、どんどんエスカレートしていく。いじめられやすい人には、そういう共通点があるという意見です。
だから「強くならなくちゃいけない」と。
それはそうかもしれませんが……。
その人はね、弱いんじゃないよ。強いんだよ。
はっ?
「強くならなくちゃいけない」んじゃないよ。もう、すでに強いんだよ。考えてもみてごらん。人を「攻撃」してばかりの世の中で、自分がやられても「攻撃」しないなんて、なんと美しい心か!
人をいじめる心は「野獣」の心です。それに比べて、じっとがまんしている君のほうが、何千倍、人間らしいか!強くなくてはできないよ。それを「気が弱い」とか「いくじがない」とか、そんなことを言われる義理はない。自信を持っていいんだよ。ひどい仕打ちに、よくがまんさたよ。偉いよ。私は、ほめてあげたい。
もちろん、反撃することがいけないと言っているのではない。反撃は大事だ。悪いことをしている人間に「悪いことはやめろ!」と教えてあげる必要がある。反撃は当然の権利です。
しかし、だからと言って、「反撃しないほうが悪い」という理屈にはならない。全然、そうはならない。まったく別問題です。
大体、よってたかって、人をいじめておいて、「反撃しないほうが悪い」とは何ですか、いったい! そんなのは野獣の理論であり、最低中の最低の勝手な言い分でしょう。
本当にそう思います。その当たり前のことがわからない人が多いんです。
たとえば、ここに泥棒がいるとする。どこをねらう?
それはお金持ちのところです。
そうだ。お金持ちがねらわれる。じゃあ「泥棒に入られたのは、あなたが、お金持ちだからだ。あなたが悪い」といえますか?
そんなこと、言う人はいません。
それと同じです。人をいじめておいて、「あの人が、こうだから、ああだから、だから、いじめた。いじめられるほうが悪い。」そんな理屈は成り立たない。なかには、「あの子がわがままだから、いじめた」「なまいきだから」「ちょっと変わっているから、いじめた」「ほかのみんなも、やっている」。全部いいわけです。どんな理由も、「いじめていい」理由なんかならない。泥棒だって、盗みやすいところから盗む。しかし、「あの家は、戸締まりが悪かったから盗まれた。盗まれたほうが悪い」。そんな理屈は、泥棒が喜ぶだけです! 「泥棒の味方」の理論です。
悪いのは百パーセント、泥棒のほうです。いじめたほうです。
いじめは、泥棒と同じですね。人道上の「犯罪」です。
そう、いじめは泥棒です! 人から、生きる力を奪う。楽しく学校で学ぶ権利を奪う。友達と仲よく生きていく権利を奪う。自尊心を、ずたずたにする。誇りを奪い、笑顔を奪い、安らぎを奪い、何もかも盗んでいく! 絶対に許してはならない。
それを「いじめられるほうにも責任がある」といって責めるのは、「やさしい気持ちなんか通用しない。そんな心は捨てなさい」と、教育しているようなものです。