2005の過去log。 | 晴れわたる青空の下で

晴れわたる青空の下で

人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

立ち上がれ いま君よ
桜散るまで走り抜け
屑入れに入った宝を
洗え
磨き抜け 我が君を
タイタニック号を引き上げろ
90年代の大舟を
沈みこまれた大舟を
手を伸ばせ
指先に力を込めて
手を握れ 友達の
崖下に広がる海原に
ひとり爪をかけぶら下がる
あの友を
抱き上げろ 涙に濡れた疲れたあの顔を
タイタニック号を引き上げろ
90年代の大舟を
沈みこまれた大舟を
眼前にあるその舟を
ガラス細工だったあの舟は
濤にもまれて今金色に輝く。
柔らかく そして強く。ごらん。君が命がけで護り続けた大舟を。
走らせずにおくべきか
あの友を
これ以上ぶら下げ 傍観し続けてよいのか
鈍い痛みを引きずって
あの友の 悲しみを
あの友の 苦しさを
わかってくれる人々が多く輩出されてきた。
20世紀最後の十年を
21世紀直前の紺色の暗い闇の黎明の十年を
闇に埋もれた歴史的悲劇を
誰が見逃してなるものか新しいかたちの残酷な歴史が始まるきっかけともなったあの十年を
歴史的悲劇の荒波のまっただ中に
身を置き、あらがい続けた生命は
背水の陣に常に生きる
という
僕のライフスタイルの
心臓の筋肉となった
一度は築きかけた城も崩壊したかにみえた。
様々な風波にさらされ、忙殺されながらも失わなかった、手を離さなかった左手に持つこの使命の重さ。
この身をひきずりながら 懸命に外すことのなかった 痛みを伴うあまりにも重い重い鎖の束
魂を込めて 捨てず 手を離さず 傷だらけになりながら護り抜いてきた 計り知れない大きな舟
ここに具体的なかたちを、証していこう。
サラサラ流れる雲や水のようにではなく
熱すぎる あまりにも 多くの魂を うだるような熱風と熱波の事実をここに記し、恒久的に継続可能な真理の道を今、示し、今、残そう。
恒久的に語り継がれていくべき、あの惨事の数々を。
滑稽な泥人形に化けたあの過酷な日々を
凄惨を極める残酷な悪魔の手口を今証していこう。
自らの清らかな精神と、絶え間のない嵐のような葛藤の心境を。鮮明に粉飾なく綴ろうではないか。
化身であったこの醜い姿の理由を。
友達が欲しかった。青春を共有する友達が欲しかった。
この 良いとはいえない世の中の風潮を変えゆく 同志を渇望していた 生き生きと溌剌とした青春の日々を共に過ごす仲間を。
無限に広がる青空のような希望の心で、熱い情熱の魂で、全てを開拓の道へ 輝きに満ちる21世紀を創る 開拓者の誇りを胸に
心の奥底で共鳴しあい、響きあう友達を探していた。
ある時は音楽で
ある時は文章で
ある時は勉学で
ある時は運動で
どのように悪魔に見える化身にも善性はあると信じて。
魂のアタックを続けた。私が善性を見出した者ほど、私を拒絶し、
私が悪性を認めた者ほど、私にすりよった。
何度拒絶されて、傷つけられても、私は魂のアタックを続け、すりよるシニズムの輩にいらだちを隠しながら、彼らを受け入れる努力を続けていた。
私が善性を見出した者たちの共通する態度は『照れ』であった。
普段は私を拒絶し続ける彼ら。
十年後、台頭したのは、シニズムの輩と、臆病なのほほん主義の人々であった。
私と同じ志を持つ多くの名も知らぬ人々は、あるいは死に、あるいは様々に姿を変えた。
私のように。
時代に抹殺された犠牲者であるふりをした。
諦観主義者であるふりをした。
優しきケモノに姿を変えた。
あくまで、一時的な化身として。
そして私が善性を見出した人々は辛酸を舐め、暗闇に埋もれた。
しかし、更に五年後には、彼らは見事に蘇生していった。
私たちは、彼らを疲れきった眼差しで見つめた。
心の奥底では彼らを讃え、同時に私たちは焦燥感と疲労感に苛まれていた。
将来私たちは彼らを慰め、ケアしていく事が使命となってくるのだろうか。
私たちは未だ嵐の日々の真っ直中にいる。
忍耐強く時を待ち、時を創り続ける私たち。
ある者は疲れ果て、ある者は死に至り、ある者は凶行に走った。
忙殺され、本来の青空のような無限の希望には暗い雲が覆い、それを現実の全てであると思い込んだ。
無残のような生き方をしたと、希望を忘れ、暗雲を自分自身の現実と受け止め、それに見合った自分造りに専念し、最後に虚無感を味わい、自死への強い願望が彼らを突き動かしていった。

軋む身体 焦る心 闇に覆い隠され尽くした究極の希望の善性である精神

環境の一部にとどまる事に、一日一日を使う日々。

行動や振る舞いが偽善的にも偽悪的にもならぬよう、真理を傷つけ大切な希望の空を安物にしないよう、細心の注意を払いながら、時を引き寄せ続けた。
日本において いじめという問題は、今なお、深い痛みを伴う問題となっている。
悲劇の十年の悲劇とはいじめ問題のことなのである。
1980年代後半から1990年代前半まで私は、事実としてあまりにも悲惨ないじめを受けた経験がある。
そのころまではまだ、十代の少年による凶行はなかったように思う、否、表面化していなかったといえるのかもしれない。
欧米を含む全世界各地でもいじめはこれまでにもあったであろう。そして現代でも存在しているのであろう。ではなぜ日本ではここまでいじめ問題が深刻と受け止められているのだろうか?

インドではいじめは、存在し得ないと、ある本で読んだことがある。
同じ現代社会にあってなぜインドではいじめ問題がないのだろうか。
また、いじめ問題がないと堂々と胸を張り言い切れることができるのであろうか。
環境であろうか。
人間であろうか。
文化であろうか。
教育であろうか。
インドにすぐにでも行き、いじめのない世界に触れてみたいものだと思う。
なぜ、どうしてその問題が起こらないのか。
世界的に偉大な指導者とその思想を受け継ぐ多くの人々がいるからなのだろうか。
愛国心をもっているからだろうか。
いじめ問題が起こり易い国土日本。
いじめ問題が起こり難い国土インド。
あまりにも安直な表現であるが、事実である。
多様性。
インドにおけるキーワードとなる言葉のひとつであると思う。
スピード社会。情報過多時代。
これが現代日本の姿の一部として仮定するとすれば、焦燥感という言葉が私には浮かぶ。
焦燥感により、正確な状況把握能力を怠りやすく、目の前にある情報、目の前の不特定の人から聞かされる情報を、よく吟味もせず同調していく。
人々は焦燥感があるので、深い対話による理解を避け、右往左往する。
個を軽んじ、ひとつの大きな塊、環境の一部として、いかにして身を置くかを思考する。
準備不足が、大きな失敗を招き、おおらかな気持ちというものが、合理的に否定され、人々の持つおおらかな気持ちは、罪悪感などによりどんどんと萎縮していく。萎縮したおおらかな気持ちは、人の中に押し込められ、おおらかな気持ちは、出口を求めて、苦悶し続ける。気持ちを解放する機会は、制限され、一人の時間を一番に大切にしていこうとする人々や、辛辣で下品なジョークで気持ちを解放する人々などが増え、喜びを分かち合うという機会がどんどんなくなってきており、ごく小さなコミュニティに存在し、あるいは秘密めいて人に話したがらない自分達にしかわからないことであるとして、人々を受け入れず、肩を寄せ合いひそひそと笑い合う、小さな声で。
まさにこの縮図が当時の教室であった。
運動会体育祭文化祭等の催し物にのみおおらかな気持ちを共有させる。
しかも、全ての人ではない。
シニズムや合理主義者、不当な役割分担により、全員が共有できるわけではない。
学生時代もっともクラスの皆と、おおらかな気持ちを共有できたと感じたのは、卒業式であった。
あらゆる価値観をもつ人々がそれぞれ、未来への希望または不安に思いを馳せる。
いじめをおこなった輩も、いじめの被害に遭った我々も、傍観者たちも教師達も、皆が共有できるおおらかな気持ちであるといえるであろう。
思い出という形に変化させながら後年共有の懐かしさを思う。
あの先生、あのひょうきんな同級生、厳しかった先輩など。
一部の思い出は、皆が共有でき、おおらかな気持ちになる。
あくまで一部の思い出に限定されてしまうのだが。
『命が奪われる』という事実が伴う日本のいじめ問題。
生きてゆくことに慢性的な絶望感を感じた人々。
100年以上前に生まれた音楽『Blues』。
激しい怒りや苦痛。
慢性的な絶望感や苛立ち。
過酷な環境、差別。
実生活に鈍い痛みを感じつつも、たくましくまた、明るく生き抜いた人々。
『人生は悪いことばかりでもない』と日頃の憂さを笑い飛ばしていった人々。
そこにあったワーク音楽。『Blues』。
100年間様々に形を変えながらも、年代時代を超え、多くの人々の心を打ち続ける魂の音楽『Blues』。
『命が奪われる』という事実が伴う日本のいじめ問題を実際に受け続けた私もまた、『Blues』に心を奪われ、自身の消えない痛みに魂の共鳴をさせ、日頃の苦しみを、ひとときでも忘れ、楽しみを与え続けてくれる音楽『Blues』。
大抵のこの音楽は英語で歌われている。
英語を学ぶ努力をしてこなかった私にとって歌詞の意味は、理解できない。
しかし、ギターやハーモニカ、ピアノそして声の調子。
歌詞の意味は理解できなくとも、とても深い共感を得ることがあるというのはまぎれもない事実である。
鳥のさえずりを聞いて、気持ちが軽くなることもあれば、雨の音を聞いて、心が一緒に洗われることもある。
カラスの鳴き声を聞いて苛立ちや不安を感じることもあれば、眠れず過ごした朝焼けに絶望感や不安を感じることもある。
正確な言葉は解らなくても、共鳴することが事実としてあるのだ。

『Blues』という音楽は、私にとっては、最高の私の理解者でもあり、鬱陶しい邪魔物にもなり得る。
いじめという悲惨な出来事は、いじめを受けていた当時以上に、その後の特に10年間の方が苦しく辛いものであった。
今僕は過去の清算のためにもこの文章を綴っている。
自身の将来の希望を奪われ、いっその事成人式に爆弾を仕掛け、当時の同級生や教師達を皆殺しにしようかとも思い詰めた時期もあった。
ここまでの激しい思いは一年と半年を過ぎれば薄れていった。
『人生は悪いことばかりでもない』という『Blues』のメッセージを噛みしめた。
過去にのみ捕らわれ続けた人生。
実社会にでてみれば、あのころの悲惨な数年間に比べればどれほど私を人間として扱ってくれたかをよく思い返す。実社会での辛さなどは、あの数年間とその後10年間に比べればどれほどたやすい問題の数々だろうと思う。