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kontextのブログ

言いたい事を言いたい、というブログなんですが……。
なかなか難しいですね。
どちらかというと、メンタル系だと思います。

 ある夕食。
 ダイニングテーブルで、父、母、兄の三人が、普通に食事をしています。
 そのテーブルの足元で、私は壁に向かって正座をしている。もちろん、エサ抜き。
 家族の食事が終わる。母が皿を洗う水音を聞きながら、私はずっと正座している。口を利いてはいけないし、身動きも禁じられている。
 歩くとき、みんな普通に私を避けて歩く。私は生ける置き物です。
 兄が部屋に戻る。 父と母が見るテレビの音声が、うしろから聞こえる。私はずっと正座で、視界は壁です。ときおりバレないように足をずらす。
 幼児期に比べてトイレを我慢できる時間が長くなり、「トイレに行ってもよろしいでしょうか」 と恩赦を願い出るリスクは減っていました (サボるのではないか、と父は常に疑っています)。それと同時に、私の強情さも育ちました。我慢の限界まで、理不尽な折檻で謝罪などしない。だからこそ、父はこんな折檻を考案したのです。どうにかして、クソ生意気なガキの心をへし折ってやろう、という魂胆。
 母が、「強情張ってないで、もう謝ったら?」 などと、たわごとを言ってくる。「お父さんも、話の分からない人じゃない」的なことを言ってくる。虫唾が走る、というのは、こういうことです。両親の自作自演。ひたすら薄気味悪い問答。いっそ殺せ、そうして新聞に載ればいい、と私は思いました。
 そうして、正座している私の背後で、両親が片づけをして、寝る準備を始める。
 ……ですが、私も案外ヘタレでした。だいたい夜中になる前にギブアップしてしまうのです。
 折檻から解放されたいばかりに、自分が悪くないことでも、謝罪してしまうのです。謝罪のときには、自分のどこが悪かったのか、もっともらしい理由を述べなくてはなりません。いうなれば毎週のように、強要された自白によって冤罪裁判に負け続けていました。本当に情けなかった。肉体的な苦痛より、私には、こういう精神的苦痛の方が、よほど堪えた。

 そのまま両親が寝てしまい、暗くなった居間でずっと正座を続けたこともあります。いったん寝た父が起きてきて、「いつまで座ってんだ!」 と激怒した。これは、私が勝利した数少ない例です。

 このような折檻が常態化すると、私に対して、誰もなんとも思わなくなりました。そもそもみんな父が恐ろしい。私という生贄がいれば、母と兄は助かるわけで、あえて問題視したくなかったはずです。家族愛、家族の絆という言葉が、いかに「ウソ」なのか、よく分かりますね。
 ともあれ、家庭内において、私はターゲットの役割に決定した。ターゲットはターゲットであるがゆえに、何をしても良い。なぜなら、ターゲットだから。日々醸成される、私=ターゲットに対する彼らの特権意識。その特権意識は、私を「透明人間」にしました。両親も兄も覚えてないと思います、団欒のうしろでひとり正座する私の背中など。

 幼児期には、私も兄も等しく折檻を受けていました。しかし長男様である兄が中学受験の準備を始めると、兄をそっとしておいてやらねばなりません。
 そこで虐待は私が一手に引き受けることになったのです。折檻のたびに、私=ターゲットという既成事実が確立していきました。
 小学校四年生の頃、一軒家に引っ越してからは、悪夢の全裸放置プレイはなくなりました。
 そのかわり、秘密警察の尋問のような問答は先鋭化し、殴る蹴るといった直接的な暴行も増えた。正座やエサ抜きの折檻は「丸一日」が基本単位になりました。
 
 ある夜、父は私に腕立て伏せをさせました。
「なんでそんなに太ってるんだ!」 と怒ってのことです。ほかの記事でも書いた通り、父は私に、よりたくさん、より早く食べるよう強制していた。太っている理由は明白なのですが……。
 ともあれ、腕立て伏せ十回です。
 最初に普通に十回やったところ、やり方が間違っていると言って、NGでした。
 父が言う腕立て伏せは、胸を地面スレスレまで下げ、一旦止めてから、ゆっくり持ち上げる、というもの。
 きつくて、五回くらいでへこたれました。
 父は激怒した。
 十回できるまで、何度でもやり直しです。疲労は蓄積するから、時間が経つほど実現困難になりました。
 さらに大激怒しました。
 父のやり方で十回できるまで寝るな。朝まで時間をやる、それまでに十回できるようにならなかったら……と、たっぷり脅迫された。そうして、父は寝ました。
 恐怖です。折檻はどんどんエスカレートしていたので、何をされるか分からない。
 ですが結局、無理でした。
 疲労困憊した夜半過ぎ。革張りソファの裏の床で、寝てしまいました。
 しかし、父の恐ろしいのはこういうところで、わざわざ見回りに来るのです。監視が好きで。
 蹴られて目が覚めました。なめてんのか、やっぱりサボりやがったな、おまえごときの考えなどその程度だ、と。
 真夜中の応接間。部屋の隅に追い詰められ、蹴られた。母も兄も、誰も見てない。蹴りたい放題でした。
 蹴る、というのは、幼児の頃は父もなるべく避けていたんですが、今までとルールが変わってきているのを実感した。

 次の日から、鍛錬のための特訓メニューが用意されました。
 でも、父の方針で米を多量に食べ続けているから、痩せるはずもない。

 私が中学生だったある日のこと、それが理由で、父の部屋での暴行に至りました。
 特訓メニューを父の見ている前でやらされた時です。
 疲れ果てて、腕立て伏せの途中で、私がぐしゃっと潰れる。
 すると父が、唐突に叫びました。
「この豚が!醜くブクブク太りやがって!」
 腹を蹴り上げられた。そのあとは文字通り、踏んだり、蹴ったり。
 このときの父の顔が、凄かった。野獣です。今までの折檻とはレベルが違う。二人しかいない密室で、本性がでたのです。
 一回やってしまうと、二度目から実行に際して困難はない。周囲に誰もいなければ好きなように蹴り飛ばせる、という事を学習したのです。日を追うごとに、人間の心のタガが外れていく過程を見た。

 ところで、「光線治療器(説明省略)」 という医療器具?があります。父の愛用品で、父の部屋に置いてあるのです。
 暴行が終わったとき、光線治療器に、土下座するよう命令されました。
 父の怪我を治してくれる有難い機械様だそうで。これに感謝を捧げろ、と。
 強要されたセリフは、こんなものでした。
「お父様の怪我を治していただき、有難うございます。これからも、よろしくお願いします」
 私は、その物体に、土下座をしました。
 父はやっと満足したようです。
 命令通り、その日の残りは、ずっと正座で過ごしました。

 折檻の理由は、昔から些細なことだったのです。しかし、経年劣化か、日々輪をかけてくだらなくなっていく。
 いいがかり、因縁レベルに落ちたのです。自分の大声で興奮する、自分の言葉に激怒する。一度決め付けたら、こちらが何を発言しようと、言い逃れ、言い訳、ウソ、親をバカにしている、などと、一声ごとに罪状が重くなるばかり。最後は折檻される以外に選択肢はないのです、初めから。教育の大義名分さえないこともありました。

 これには、後日談があります。ターゲットとしての私の立場と、彼らの特権意識がよく表れています。
 私は生命の危機さえ感じていました。父の野獣の顔、本当に何をされるか分からない、と思った。死ねば楽になるとは分かっていたけど、私には無駄に強力な生存本能があるのです。本当にムダですが……。
 そこで、連日、密室で何が起こっているのかを、母に報告しました。すると、母は言いました。
「あんたは、恨み深い子ねぇ」
 ターゲットの分際で、甘ったれた被害妄想などいちいち言いに来るな。そういうことなのでした。
 私は、恨み深い……。執着心が強すぎるのでしょうか。何が正常で、どこから異常なのか、自信が無い。本当に、何が正しいのか、全然分からない。もしかしたら、世間では大した事がない出来事で、私が考えすぎなだけ、私の性格上の問題に過ぎないのかも知れない。自分の感覚も信用できない。
 でも、ただひとつ、私は、私の記憶力だけは、信じている。
 そして私は彼らを許さない、私が間違っていたとしても。
 救いがないですね。それでいいんです。こんな家族は、滅亡すればよい。

 ああ、この時期は本当に大変でした。
 家では見ての通り折檻。中学校では、イジメです。
 逃げ場なしでしたが、結果から見ると、私は結構タフだったみたいです。ありがたくもない、うれしくもなんともない。とっとと死んでおけばよかったのに!本当に生存本能が無駄すぎる……。


 今朝は餓死の予行演習よろしく寝転がっていたら、日が沈んでしまった。
 死体のように無気力です。
 どうにか自分を強いて食事をとり、漸くPCに向かいました。
 とにかく、書かなければならない事は、書かなくてはならない。砂漠に行く前に。

 また何か書きます。
 電極付近が黒ずんだ、蛍光灯の輪っか。
 眠っていた私は起こされました。
 父親に担ぎ上げられ、何枚も服を着せられて、連れ出された。母親も血相変えて慌てて、尋常じゃない空気。
 寝ぼけた私が、「どこ行くの?」 と聞くと、「いい所だ」 と父が答える。「テレビある?」 と訊ねたら、「なんでもある」 と言う。

 私が 「蛍光灯」 と名づけているこれが、自身の最古の記憶です。
 当時私は二歳、川崎氏病で入院・手術する時の一幕です。それまで死に至る病だったんですが、画期的な手術が完成した頃でした。

 手術台と思しきベッドに寝ている場面も、うっすらと記憶があります。
 医者っぽいオッサンに、むやみに褒められている。太股に手を当てられた。手術内容とは一致します。大腿の内側から心臓カテーテルをしたので。
 でもこっちの記憶は、自分で自分を見ている記憶です。その後の情報を元に意識のどこかで捏造しているのかも知れない。また、寝ていた台は、レントゲン台かも知れない。夢みたいで、あやふやです。

 川崎氏病、不整脈、アトピー性皮膚炎、各種アレルギー。私は病弱でした。体格も貧弱で、がりがりだった。
 そこで両親は過剰に私を鍛えようとしました。それはまぁ、自然なことです。
 しかし、やり方が問題で、暴力と説教、というよりは、収容所の看守による私刑みたいなやり方で追い詰める。従わない時や、異論を挟んだら折檻。というものでした。

 私の家族は、食事に執着していました。
 全員が揃って食べなくてはならないという鉄則。より多く食べる、より早く食べるという原則。食べる姿勢、箸の持ち方、おかずを食べる順番、あいさつ、騒音規制、会話など、多くの決まりがありました。違反すれば折檻です。
 食事中のルール違反は、軽いものならビンタなどで終わりですが、重度の犯罪?なら即座に食事は中止、折檻です。もちろん食事は取り上げられます。
 たとえ親の目の前でなくとも、幼稚園で弁当を食べるのが遅かったと報告があれば折檻、あるいは私を尋問しては折檻でした。

 折檻の理由は様々です。たいがいは言いがかりのようなもので、どういう態度をとろうとも、折檻するときはされる。両親は、「自分の言葉で興奮する」 ので。
 実施される折檻は、長時間の裁判に似た説教、張り手、殴る蹴るといったオーソドックスなもの以外に、関節技や、土下座、自己批判の強要などがありました。しかし、子供時代にもっとも多くの時間を割いたのが、正座です。
 裁判の結果、たいがい一時間から三時間の範囲で実施時間が決定され、これに様々なオプションがつくのです。

 たとえば、敷居の上に正座。
 出っ張った敷居が向こう脛に食い込むので、より多くの苦痛を与える事ができる。敷居の種類によって痛み方も異なります。昔の時代劇でやってた、あれみたいなものです。

 追放刑と組み合わせて、屋外で正座というのもよくありました。

 ほかの記事にも書きましたが、全裸で衆人環視にさらす正座は、重度の違反の場合です……が、どのへんから「重度」なのか、私には分かりませんでした。両親にも明確な基準はなかったと思います。ルール違反にくわえて、反逆罪というか、親に反抗したときに、この制裁が加えられたように思う。

 シンプルなのに意外なほど精神的苦痛を味わえるのが、「壁に向かって正座」 でした。膝と壁の間は、拳一個分の距離。真っ直ぐ前を向いていないといけないので、目の前15センチ先は一面の壁です。身動きすると怒鳴られ、時間延長のペナルティが課される。これを三時間続けると、なぜかヘトヘトになります。
 ときどき、理由もなく、これをやらされました。ちょっと座ってみろ、と。折檻でさえなく、開始時に「正座X時間」という宣言もないのです。父の気が済むまで座っていなくてはならない。後ろで父母が、私の姿勢がいいとか悪いとか、品評会をしている……意味が分からず、涙が出ます。

 頻発する 「食事を与えない」 というオプションは、私が大食いになってから、大きな効果を発揮するようになりました。

 食が細い私を暴力で強制したおかげで、私は大食いになりました。中学生の頃がピークで、食うわ、食うわ。しかも早い!鍛えられましたので。早く大量に食べないと、拳骨だの全裸だのが待っていたら、食べるようになるのです。
 食べまくる私に父はたいそう喜んで、「米ならいくら食っても大丈夫」と奨励ししました。私は米を食って食って食いまくった。
 このとき誰も知らなかったのですが、米って、炭水化物なんですね。茶碗に何杯もの砂糖を食べているようなものです。でも、「肉は太る、米で太るはずがない」 というのが父の持論でしたから、たとえ知っていたって、指摘された瞬間に逆切れ激怒、折檻されて終わりだったでしょう。

 そうして、私は、太りました。
 がりがりだった幼児期など想像できないほど、太った。

 もちろん、中学校ではイジメのターゲットになりました。

 さらには父から 「どうしてこんなに太っているんだ!」 という理由で、折檻されるようになりました。
 そう、父はデブが大嫌いだったのです!
 この時期に父の暴力はピークに達します。日曜日は殴って蹴ってストレス解消したあと、丸一日食事抜きで正座などというのも、頻発しました。それでも私が痩せる事はなかった……ある意味すごい。
 加えて長男様である兄がターゲットから外され、私は折檻用の犬、というか豚の立場に落ちていきました。犬とか豚と形容するのには根拠があるんですが、別の記事で書きます。まぁ、たいした事ではないのですが……。

 のちに心療内科に通い出してから、体重はみるみる下がりました。一気に二十キロ以上落ちてゲッソリ。

 私は、誰かと一緒に食事をするのが苦手でした。一人暮らしを始めて、一人で食べる食事が、なんと自由で気楽なものか!孤食最高!って絶賛した。
 家族の食事は全員一緒に、という鉄則だったから、夕飯は父が帰宅するまで絶対に食べてはいけない。そうして始まる食事は、ギチギチのルールに縛られ、ちょっとした不用意な言動に激怒する父の顔色を窺いながら、緊張の綱渡りでした。ぶすっとしていると、「なんだその仏頂面は」「いっちょまえに、ふて腐れやがるのか」「父親に文句があるのか!」 などとくるので、表情にも気を使わないといけないのです。
 噛み締めるのは、「一家団欒」 という言葉のウソ臭さだけ。

 それにしても、あのとき川崎氏病で死んでおけば、こんな事にはならなかったのに……と思うと、やり切れません。
 大病で両親は心配したというが、その後の展開を見れば、折檻するために助けたのか?と追求したくなる。
 あのとき心配してやったのに、助けてやったのに、というセリフは、命で購われた奴隷のように感じました。中二病と言われようとも、折檻の最中に私は本気でそう思っていた。そう思ってしまうことを、私は否定しませんし、絶対に撤回しません。

 そして今、なんの意味も希望もない人生を生きています。
 ただ息をしているからという、たったそれだけの理由で、生きていなくてはいけないのか。
 自然淘汰に逆らう罪深さを、この先も生きていかねばならないのか。
 無駄な生命というのは、本当にあるのです。

 また書きます。
 家のドアノブを、どうやって回すか。
 ガチャガチャッという音で、父の怒りレベルが分かります。怒っていない日はない。
 私は今でも、ドアノブの音には敏感です。

 単に乱暴に回すのではありません。怒りを込めて、回すのです。ガチャッと回すのか、ガチャガチャッと回すのかは、全然違います。そのうえ、鍵がかかっているのを承知で何度もノブを引っ張るなど、狂気としか思えない。引っ張り方も、怒り度で変化します。
 ガチャガチャッ!バンバン!という一連の音が、恐怖の時間の合図。父が帰宅したのです。

 怒りが大きすぎると、私が眠っていても、叩き起こされます。
 折檻のための折檻です。寝ている子を叩き起こしての折檻なら、より攻撃性が増して、より父のストレス解消力が高まるのでしょう。そんなの、「教育」「躾」などとキレイごとを言おうが、明白です。
 折檻の理由というのは何でもよくて、こんな感じです。
「きのう、父のいないところで、母親に口答えしたな?陰に隠れてコソコソしやがって!
 してないだと?親に嘘を言うのか!覚えてない?おまえは低脳か!思い出させてやる、来い!」
 この問答、どう答えても最後は折檻される。
 書いてみると、漫画の一シーンにしか見えない。でも、実際に、私の家はこうでした。
 それが教育だと、両親は頑なに信じていた。

 運が良い日は、必死の寝たフリでやり過ごせる。でもこれは諸刃の剣です。寝たフリがバレると、新たな罪状が加わって、折檻のグレードが上がる。だから一度寝たフリをしたなら、最後まで貫き通さねばなりません。寝たフリも必死なのです。

 父が帰ったとき、玄関に出て鍵を開けるのが私だと、怒り倍増です。
 そこで、たとえば、いきなり私にビールの栓を開けさせ、「待て、手を洗ったのか?」 と聞く。洗っていない事が発覚すると、「蟻ほどの衛生観念もないクズが!」 などと罵倒モード開始。父は罵倒が大好きなのです。

 またあるとき、ドアの鍵を開けた私が、逃げるように部屋に戻ろうとする。と、父は、「親父様が帰ってきたのに、水も出さんのか!」 と怒鳴る。(自分で「様」付けです)
 私はコップに水道の水をジャーッと入れて、ドン!と机に置きました。睨み合って、一触即発。さすがにこっちが高校生にもなると、簡単には手が出せません。緊張感で全員ピリピリして、チキンレースみたいな毎日でした。

 あまりドアノブと関係ない話になってしまいましたね。
 しかたありません、ドアノブなんて、本当はどうでもいいんです。

 またなにか書きます。