こんにちは。


新年度の忙しさと、ゴールデンウイークの忙しさから一息つける雨の日曜日です。


めんどりは靴を買いに行く前に、ブログの続き。


鞍馬寺のウエサク祭は、5月の満月にやる、豊作を祈る祭りだけど、同じような祭りがチベットとかにもあって。


実際、日本在住のチベット仏教のチベット人お坊さん達が、この祭りにやって来ることも珍しくなくて。


お客さんの中で参列していたはずのお坊さんが、祭りのあとで、鞍馬寺のお坊さんと一緒にお経上げてた。


鞍馬寺は、天台宗から派生した鞍馬弘教という宗教団体だけど、神智学協会の影響を受けてるそうで、日本の仏教界の感覚よりもちょっとオカルト風味があるわけだ。


天狗とか尊天とかサナト・クマーラって言われても、鳥頭のめんどりはきょとーんだし。


650万年前に金星から…と言われても、もっときょとーんだし。


ただ、鑑真の高弟が建てた寺であることと、天狗と縁のある源義経がここに篭っていた歴史があるから、それなりの歴史があることはまちがいないので。


近代じゃ、レイキヒーリングの元の、直傳靈氣の創始者の臼井甕男がここで覚醒したのは、スピかじりの中では知られているし。


そこで豊作を祈る祭りがあるなら、パワーがあつまるに違いない、と思うのは、スピマニアなめんどりだけじゃないわけだ。


今年は早すぎた桜の開花で、申し訳無さそうにちんまりと咲く八重桜にめんどりは微笑みながら、夜のウエサク祭まで待たせてもらうのですが。





鞍馬寺の人達は、せっせとウエサク祭の準備をするわけです。


儀式は基本撮影禁止なんで、写真撮れるのは明るいうちですね。


コロナ禍で、確か3年間ウエサク祭をやっていないので、めんどりが前にウエサク祭を見たのは、当然4年前より前でしたが。


…前のブログで載せた、金剛床を最後に彩る心のともしび…赤い灯明を持ってる時…


そう、前にウエサク祭に来た時に、みんながそれぞれの灯明持ってたら、そこにめんどりの大嫌いなイランイランのアロマオイル注いだ人がいて。


本人はいい匂い…と言ってたけど、めんどりは電車で臭い人に出くわし、頭痛がする中立ってたら、よりによってめんどりの大嫌いなイランイランだったから、あやうくリバースの危機だったんだ。




今年もこの灯明見て、イランイランの匂いを思い出しトラウマ全開なめんどりでしたが。


儀式自体は1時間半ぐらいで、良い感じでしたね。


めんどりが丸暗記な開経偈に般若心経唱えたり、卒業式の呼びかけみたいな、魔王尊への祈りを捧げたり。


外国人が多いんで、通訳もいましたな。


儀式が始まる頃って、なぜか強い風が吹いてるんだけど、今年は風がおさまったら満月が出てきたんだ。


あと、雲が多い日だったんだけど、雲の隙間から満月だけじゃなくて、鞍馬寺が崇める金星も見えて。


儀式の最中、持ってる灯明を、みんなで天にかざした時に、雲に隠れた金星がまた見えて。


金星は200℃を超える星だから、生き物はいないだろうけど、形のないサムシング・グレートはいるのかなと思うほど、見えたタイミングが良かったです。


儀式が終わった時に、鞍馬寺の中を通ってウエサク祭の力漲る水をいただきます。


鞍馬寺の中には、分骨されたお骨の安置所があり、そこを通るんで、夜はちょっと怖いんですが。


めんどりは、明らかにめんどりの半分も生きてない人の名が書かれてる骨壷や、どう見ても乳幼児の骨壷とわかるものを見る度に思うわけです。


……ウエサク祭も、生きている者が豊かになるために、豊作を祈るわけだけど。


お寺って基本、生きてる者を救う現世利益の要素と、極楽浄土に向かうものを救う追善供養の要素があって、こうやって祭りをやる中で、自分が生きてることを意識させるのも、お寺の大事な役割だなとしみじみ思うわけです。


めんどりは、力漲る水をいただいた後で、鞍馬駅までゆっくり歩きます。


鞍馬駅の最終列車は22時台後半だけど、めんどりは21時台の列車に乗り込みます。


21時台でも3本の電車で、江ノ電レベルの決して大きくない車両なんで、乗れるときに乗らないと…という感じですが。


めんどりはなんとか座ることが出来、鞍馬寺を後にします。