こんばんは。


今日は東日本大震災から12年。


地震が起きた時間に合わせて、防災ふじさわの放送が流れ、一分間黙祷となりました。


めんどりは庭で、大船フラワーセンターで買った花を植えてたので、そこで黙祷。


…めんどりは地震のとき、子どもたちの前で話してたんだけど、経験したことのない揺れ方だったから、一瞬自分が具合が悪くなったと思ったんだよね。


んで、机の中ー!って叫んだんだ。


めんどりは一人なら真っ先に逃げるチキンめんどりだけど、子どもたちがいたもんで、机の下に隠れた子どもたちに向かって、とりあえず椅子から防災頭巾とって〜、と落ち着いたふりして言ったんだけど。


頭の中じゃ、関東大震災にしては、縦揺れがないし…どこだ、震源は?と思ってたんだ。


当時のめんどりの知識じゃ、東北が震源になりうるとは実は思ってなくて、これが南海トラフかな…と予想したんだけど。


しかも、地震は長く揺れても30秒と言われていたのが、東日本大震災で覆されたし。


今のコロナ禍も、今までの常識を覆すものだけど、東日本大震災も、それまでの常識を覆すものだったな。


あの後、計画停電に、ガソリン不足…


街灯や信号機が消えて、信じられないほど暗い道を、めんどりはランタン持って歩いたな。


電車も走る時と走らない時があって。


それが一ヶ月ぐらい続いたのかな。




フラワーパークの白い入れ物に、花が浮かべてあったので、めんどりはスマホでのぞきこむんだけど。

真っ黒な津波に飲み込まれた人達は、今、こういう世界にいてほしいなと思ったんです。

…てか、こういう花に乗って、明るい世界に解き放たれていてほしいなって。

地震当日、めんどりは学校で津波の映像を見て、言葉を失いましたが。

不可抗力ってこういうことだろうなと、黙るしかなくて。



小学校勤めのめんどりは…

今いる児童は、全員東日本大震災の後に生まれた子達だって気がついて。

12年って長いなと、しみじみ思います。

でも、その12年の向こう側に、今日が今生の別れになるなんて思わなかった人が2万人弱いたわけで。

日本は建物がしっかりしてるから、建物が崩れて亡くなる人は意外と少なく…

でも、まさかの10メートル超えの津波にさらわれた人が大勢いて。

めんどりは、人間って生きているんじゃなくて、生かされてるのかも、と思いました。

生かされてるめんどりは。

東日本大震災で亡くなった人達の冥福を祈り、土曜日の午後を花壇づくりに費やしました。

冥福を祈る人達の想いの花が、あの世を彩りますように。