こんばんは。


微妙に喪中になってしまっためんどりは、お節は作る気はせず、でも年越しそばは食べ、お雑煮も食べ…で、前から気になっていた場所に出かけました。


行き先は時宗の総本山の遊行寺。


お寺なら、喪中でも行けますので。


清浄光寺という名称がありますが、箱根駅伝でも出てくる遊行寺坂の遊行寺の方が地域では知られています。


めんどり実家は臨済宗建長寺派ですから、そのまま鎌倉行けばいいんでしょうが、どうしても時宗が気になっていて。


めんどりが数年に一度行く、遠いけど大好きな熊野本宮大社の大斉原には、なぜか時宗の開祖の一遍上人の碑があり。


踊念仏と熊野本宮大社がどうして一緒なのかなと、いつも不思議に思ってました。


何でも一遍上人が悟りを開いたのが熊野権現なんだそうだけど、今でも時宗の一番偉い僧侶になると、熊野権現に報告に、遊行寺からあの辺鄙な山奥まで行くんだそうだ。


昨年103歳で遷化された、ここの一番偉い僧侶も20年前に熊野に向かわれたとのこと。


…20年前と簡単に言うけど、この時点で80超えだし。

そこから20年も生きていらっしゃった時点で、凄すぎるんだけど。


今は白浜空港に飛行機でぶ〜ん。白浜空港から特急バスで熊野本宮大社までぶ〜んと、めちゃくちゃ金がかかるルートなら、4、5時間で行けるけど、飛行機無しで行くと、あの超ローカル線きのくに線を使わなきゃならないから、これまためちゃくちゃ大変な場所だし。


始発電車で行って、着くのが午後だ。


新宮市がまた遠い遠い。


一遍上人は寺を持たず、50歳ぐらいで亡くなる直前に、時宗の経典を焼き払ったらしいから、何で時宗の総本山が藤沢にあるんだかと思うけど、それは一遍上人の弟子が建てたそうで、一遍上人自体も当時の幕府目指して鎌倉に入ろうとしたそうで。


でも、鎌倉では臨済宗が、武士の中で幅を効かせてた時代だから、何と一遍上人は鎌倉で棒で滅多打ちにされて、藤沢に追放されたという恐ろしい話があるわけだ。


めんどりは何となく興味がある一遍上人だけど、大晦日に、めんどりがさめざめ泣きながらスマホを眺めていた時に、お遍路の話が出てきて。


…めんどりは今、2周目の途中でなかなか行けないんだけど、ちょうどめんどりが目指してる場所が、岩屋寺で、そこは一遍上人が籠もった場所と知り。


一遍上人の縁の場所に行きたい!と思ったわけですよ。


ついでにいうと、一遍上人は愛媛生まれだそうだから、岩屋寺は故郷の近くだったそうで。


弘法大師も讃岐生まれだから、四国は色んな意味で不思議な場所だけど、めんどりの住む場所からそう簡単に行ける場所じゃないのは今も昔も同じですが。


弘法大師といい、一遍上人といい何でわざわざ四国から、更に辺鄙な熊野を超えて、江ノ島界隈まで来るのか、めんどりは興味を持ち。


お昼に遊行寺に行きました。




箱根駅伝の後でもあるから、三が日はそれなりににぎやかだ。

…めんどりの近所の江ノ島よりは、かなり空いてるけど、江ノ島が異常なんで(笑)。

この寺の隣には、藤嶺藤沢中、藤嶺藤沢高校という中堅処の男子校があり。

臨済宗の建長寺も、サザンの桑田佳祐さんが行った鎌倉学園があるから、仏教系私学の教育が昔から根を下ろしているんだ。

めんどりはお坊さんに100円払い、お線香をあげます。

めんどりがお世話になった叔母が、浄土で安らかでありますように。

ところでここには、宇賀神社がなぜか寺の中にあり、今日はなぜかそこに祀られている宇賀弁財天様が御開帳で、常設のお賽銭箱の隣に鎮座坐していて。

めんどりは、おお、銭洗弁財天様だと、そちらにもお賽銭を捧げるわけです。

弁天様は江島神社にもいらっしゃるけど、何で時宗の総本山に弁天様がいるのかというと…
徳川氏の祖とされる者が、ここのお坊さんになった時に守り本尊として持ってきたそうで。

ただ、徳川氏の祖と呼ばれし者は、出自が曖昧な部分が多いそうですが、とりあえず銭洗弁財天の基となる宇賀弁天様は今の世にも、めんどりの前に鎮座坐していらっしゃったので。

めんどりは手を合わせます。

弁天様といえば琵琶持ってるイメージだけど、琵琶湖は弁天様の発祥の地だもんね。

めんどりはもう少し遊行寺を見たかったんだけど、何しろ屋台がめちゃくちゃ出てて、人も多くて、もうちょっと静かな時に来ようかなと思い、遊行寺を後にします。

高校地歴の免許で得た知識も、ここで役立てて。

めんどりの散歩道が一つ増えました。