今日は寝床からお送りします。
電動カー2号は、ガイドオジィとめんどりを乗せて、朽ちた電動カー1号を置いて行きます。
下りの坂道になり、道の両側には、かつては住居があった空き地と海が広がります。
ガイドオジィによると、大神島の最盛期は島民が300人を超えたそうで。
オジィ達が通った小中学校も、100人ぐらいいたそうですから、それなりににぎやかだったとのこと。
電気も、9時で消えてしまう。水道も十分じゃなかったけど。
学校の宿直室に行って遊んだり、電気が消える前に家を目指したり。
んで、なぜかたまに母ちゃんやオバぁが山にこもる。
不思議に思うけれど、それが島の掟。
インターネットで、情報がじゃじゃ漏れの今じゃあり得ない不思議な空間。
島の御嶽は、ほとんど男子禁制だが、年に一度入って良い日があり、みんなで祈りを捧げる。
決して豊かとは言い難いけど、古き良き時代。
電動カーは、海岸沿いの道に出ます。
海岸沿いの道は、舗装されていて、電動カーはスイスイ進みます。
この道路は、島を一周する予定でしたが、道路の途切れる右側の石を壊そうとした時、事件が起こりました。
ここなんだけどね、とガイドオジィが指を指す先は、草に囲まれた小山があります。パッと見は本当に野原。
でも、ここを壊そうとした重機は壊れ。工事関係者や、島民が謎の怪我や病気に襲われ。
……1970年の後半から1980年代の出来事じゃ笑えない話です。
何でも、この岩がオバぁ達や霊感の強い人に言わせると、一番強いらしい。
……めんどりさん、チキン&ビビりを押してシャッターを切ります。
黒~いぃぃぃぃぃぃヽ(;▽;)ノ
すみません、これはオカルトモードではなく、iphoneのカメラ機能の限界で逆光になるんです。
午後の日差しがガンガン照る海岸が位置的にアウトで。
でも撮れたら撮れたでやばそうと、チキンめんどりは撮影断念。
めんどりとガイドオジィを乗せた電動カーは道を戻り、芝生のある広場へ。
先に書きましたが、ここに観光客のほとんどが集まってます。
芝生はきれいだし寝心地も良さそう。
でも、ガイドオジィの話によると、この辺は昔は砂浜と、オジィ達が通った小中学校があって、教室から釣り糸垂れて釣りをしたんだって。
……そんな面白い場所、どうして壊すかなぁ。
芝生があろうがなかろうが、道路があろうがなかろうが、拝所に続く木の階段があろうがなかろうが。
この島の人達は、ありのままの島を受け入れて過ごしてきた。
……だから、逆に、開発も受け入れようとしたけど、島の大きな石……大きな意思は拒否した。
沖縄が1972年に占領下を離れて、日本の経済力が日本列島のあちこちを改造した頃。
大神島も、改造の波が押し寄せたけど、島の深い所までは改造出来なかった。
それはそれでよかったと思う。
沖縄好きでスピも興味あるけど、ビビりでチキンのめんどりにはこの時期は意味ある時代。
久高島の秘祭、イザイホーが最後に行われた年もこの頃かと。
最後という書き方はまずいのでしょうが、イザイホーができるのは、12年に一度だけ。
……久高島生まれで、30歳から40歳の女性が、イザイホーの儀式を受ける事ができるそうですが、近年は該当者がなく、儀式の存続が危ぶまれているそうで。
イザイホーの儀式をやれるオバぁは3人だかで、しかも80歳以上。
大神島の祭祀を受け持つオバぁもこれまた3人だかで、やっぱり80歳代だそうだから、沖縄に古くから伝わる祭祀は存続危機の状態。
こればかりはウチナンチュに任せるしかない問題で、めんどりは稼いだ小銭を沖縄にばらまくだけしか、沖縄のためにできることがありません。
めんどりさん、3時間余りの短い大神島を後にするため、船着場に行きます。
電動カー2号は、ガイドオジィとめんどりを乗せて、朽ちた電動カー1号を置いて行きます。
下りの坂道になり、道の両側には、かつては住居があった空き地と海が広がります。
ガイドオジィによると、大神島の最盛期は島民が300人を超えたそうで。
オジィ達が通った小中学校も、100人ぐらいいたそうですから、それなりににぎやかだったとのこと。
電気も、9時で消えてしまう。水道も十分じゃなかったけど。
学校の宿直室に行って遊んだり、電気が消える前に家を目指したり。
んで、なぜかたまに母ちゃんやオバぁが山にこもる。
不思議に思うけれど、それが島の掟。
インターネットで、情報がじゃじゃ漏れの今じゃあり得ない不思議な空間。
島の御嶽は、ほとんど男子禁制だが、年に一度入って良い日があり、みんなで祈りを捧げる。
決して豊かとは言い難いけど、古き良き時代。
電動カーは、海岸沿いの道に出ます。
海岸沿いの道は、舗装されていて、電動カーはスイスイ進みます。
この道路は、島を一周する予定でしたが、道路の途切れる右側の石を壊そうとした時、事件が起こりました。
ここなんだけどね、とガイドオジィが指を指す先は、草に囲まれた小山があります。パッと見は本当に野原。
でも、ここを壊そうとした重機は壊れ。工事関係者や、島民が謎の怪我や病気に襲われ。
……1970年の後半から1980年代の出来事じゃ笑えない話です。
何でも、この岩がオバぁ達や霊感の強い人に言わせると、一番強いらしい。
……めんどりさん、チキン&ビビりを押してシャッターを切ります。
黒~いぃぃぃぃぃぃヽ(;▽;)ノ
すみません、これはオカルトモードではなく、iphoneのカメラ機能の限界で逆光になるんです。
午後の日差しがガンガン照る海岸が位置的にアウトで。
でも撮れたら撮れたでやばそうと、チキンめんどりは撮影断念。
めんどりとガイドオジィを乗せた電動カーは道を戻り、芝生のある広場へ。
先に書きましたが、ここに観光客のほとんどが集まってます。
芝生はきれいだし寝心地も良さそう。
でも、ガイドオジィの話によると、この辺は昔は砂浜と、オジィ達が通った小中学校があって、教室から釣り糸垂れて釣りをしたんだって。
……そんな面白い場所、どうして壊すかなぁ。
芝生があろうがなかろうが、道路があろうがなかろうが、拝所に続く木の階段があろうがなかろうが。
この島の人達は、ありのままの島を受け入れて過ごしてきた。
……だから、逆に、開発も受け入れようとしたけど、島の大きな石……大きな意思は拒否した。
沖縄が1972年に占領下を離れて、日本の経済力が日本列島のあちこちを改造した頃。
大神島も、改造の波が押し寄せたけど、島の深い所までは改造出来なかった。
それはそれでよかったと思う。
沖縄好きでスピも興味あるけど、ビビりでチキンのめんどりにはこの時期は意味ある時代。
久高島の秘祭、イザイホーが最後に行われた年もこの頃かと。
最後という書き方はまずいのでしょうが、イザイホーができるのは、12年に一度だけ。
……久高島生まれで、30歳から40歳の女性が、イザイホーの儀式を受ける事ができるそうですが、近年は該当者がなく、儀式の存続が危ぶまれているそうで。
イザイホーの儀式をやれるオバぁは3人だかで、しかも80歳以上。
大神島の祭祀を受け持つオバぁもこれまた3人だかで、やっぱり80歳代だそうだから、沖縄に古くから伝わる祭祀は存続危機の状態。
こればかりはウチナンチュに任せるしかない問題で、めんどりは稼いだ小銭を沖縄にばらまくだけしか、沖縄のためにできることがありません。
めんどりさん、3時間余りの短い大神島を後にするため、船着場に行きます。