気が抜けているんですよね。

今まで、私を嘲笑した人や私を捨てた人に対し、見返してやるために頑張ってきて、実際に見返してしまうと目標がなくなってしまったというか‥。

実は数年前に代理人を介して、私を捨てた母とコンタクトを取りました。

母は私の知らない誰かと家庭を持って、私の知らない子を持ち、企業して成功を納めているようでした。

代理人からは私は私なり社会的に成功を収めたことを伝えていただきました。

そのことには感嘆していたらしいです。

あと、頑張り過ぎて身体を壊し、開胸手術まで受けたことには心配色を表情に映していたとのことでした。

ただ、母には母の今の家庭と生活があるので、二度と私からコンタクトを取らないで欲しいと申し入れを受けたと聞かされました。

私はそれを聞いてからも、母の日や誕生日にお金を贈り続けました。

なぜ、そんなにも嫌われてしまう理由が分からないのですが、親を想う気持ちは、どなたとも同じなのでしょうか?

とにかく贈り続けているのです。

それに対し、御礼もなければ、反応もないのですが、贈り続けています。


一方で、見返してやりたい相手に少なからず感嘆を与えたことで、私のエンジンは古びたものになってしまいました。


苦しいことや辛いことに対し、サラリーで解消することができるマインドならば、もう少し頑張れたと思うのです。

でも、憎しみを根底として進んできた者が、許す心を持ち合わせてしまうと、頑張る力は減速してしまうのですね。

きっと、年齢も影響しているのでしょうね。
憎しむよりも、理解したくなる感情が心を占めてしまう自分がいます。

殺してやりたいくらい憎いのですが、「僕は僕なりに頑張ったんだよ」って、単純に純粋に母に聞いて欲しいって気持ちだけだったのだと気付く自分がいます。




今、仕事で全方位から銃口を向けられているような逆境が続いているのですが、無我夢中でやっていたころは手当たり次第にブチのめして、突き進むことしか選択肢がなかったのですが。


そろそろ潮時なのでしょうかね。


そろそろ自分を許したい自分が芽生え始めているのです。


よく頑張ったと自分を褒めてあげたいです。


ご縁があって、このブログを見た方も、気が向いたら私を褒めてあげてくれませんかね^_^