続き…
兄は病院に運ばれてから四日間頑張ったが、亡くなった。父が亡くなってから兄は父親がわりになって父親以上に私達の面倒をみてくれた。ディズニーランドやディズニーシーにも連れてくれた。忙しい合間をぬって週一で必ず電話をくれて私の家族が元気かどうかも尋ねてもくれた。。たくさんの方が告別式においでくださった。
兄は医師だった。過労だったらしい。

私は兄を思い出して、よく泣いた。お兄ちゃんお兄ちゃんと呼びながら空を見上げてよく泣いていた。

あまりにも突然すぎる兄の死。

次は私が、不自由になり、どうして生きていこうかと思う時、

兄達が生きたかった今日を私は生きている。

亡くなった人が生きたかった今日を無駄に生きてはいけないといつも思う。。。
20年前の今日、母は緊急開頭手術をした。頭が痛い、これは普通ではないと言い、かかりつけの近所の先生のところまで母は行った。いつも母を診ているその先生は救急車を呼んでくださった。
大きな病院に運ばれた。クモ膜下出血だった。


私の勤務先の会社に連絡が入り、私は上司のとりはからいで、会社のおかかえ運転手さんに、会社の車で病院まで送ってもらった。


病院に着くと、母は頭を剃られて丸坊主になっていた。 とてもよく似合っているよ!と言ったのを覚えている。

その日は姉と妹と三人で母のベッドの下に布団を借りて休んだ。翌朝、


朝一番で手術が始まり、兄達も駆け付けて、みなで手術室まで送った。その二年前、父が心筋梗塞で倒れ自宅療養中だったので、父のことも心配だった。6時間くらいだったかな…。手術室から母が出てきた。頭のてっぺんから管が出ていた。管には血の混ざった透明な液が入っていた。
これ何かな?
頭に管が入ったままでどうなっているのだろうと不思議だったが、詰め所の前の個室にいて、絶えず看護士さんがみえるので、何かあればここは病院だしと安心していた。

しかし、脳髓液が漏れたのか、夜中に病室で処置が行われた。
母はとても痛かったとあとで言っていた。


あれから、20年。
母は毎日、頭の具合が悪く、頭痛があったりふらついたり、すかっとする日がないと嘆いているが、後遺症なく、入院もせず、自宅で過ごさせていただいている。ありがたいことだと私は思うが、母は毎日がしんどいのでぐずぐず言っている。

あまりにも辛いので脳外科で検査を受けたら、水頭症の疑いがあり、シャント手術をすすめられたが、年齢的なことを考慮して受けずにいる。

母のクモ膜下出血から二年後、


最愛の兄が交通事故で急逝した。私達兄弟はすぐ駆け付けた。母は開頭手術後でもあり、まだまだ遠出できる体力がなかったので一人実家で待っていた。告別式が終わり、母に電話をした。
電話の向こうで泣いていた。その時、初めて母の泣いた声を聞いた。


そして、

三年前の1月、またもや勤務先に電話があり、
兄が倒れて病院に運ばれたと、電話を職員室で聞き、その場に座りこんでしまった。急いで自宅に帰り兄の運ばれた関東の脳外科病院に向かった。乗り換え乗り換えで5時間くらいかかった。到着した時は、兄は生きていてくれたが意識はなかった。脳内出血だった。
小学校の運動会を窓から見る。
一生懸命、けなげな姿に胸がいっぱいになる。

四年生の元気なよさこいソーラン!
一年生は嵐のモンスターの曲に合わせてダンス!お待ちかね。五年生の騎馬戦!がんばれがんばれと部屋の中で思わず声がでる。
そしてクライマックス
六年生の組体操。優雅にかつ力強く!

自然と溢れ出す涙。
一生懸命な姿は人の心を打つ。
演技のたびに泣いていてはからだがもたない。
我が家の子供達に小学生はいない。知らない子供さん達の姿を見て、泣いている私って…。脳疾患後、涙もろくて困る。
いや、脳疾患ではなく、単なる年のせいなのかな。
どちらにせよ、込み上げる涙をぬぐう昼下がりでした。
雨が降らず秋晴れの素晴らしい一日であったことが嬉しい。よかったね。先生方保護者の皆様、そして児童の皆さん、お疲れさま。神様ありがとう。