以前「母性」という映画を観たのだけど 

急に思い出して 見返してみて思った事があった。


私は物心ついた頃から 母親のお世話をしてきたように思う。娘でずっといたい なんて 小学生くらいで置いてきた。


我が子を出産する前に 母は他界して 

離れて暮らす父や兄は 全くあてにならなかったし

義母も踏み込んで育児を手伝ってもらうような事もなかったから


娘として 誰かに子育てを手伝ってもらった事なんてない。と思ってる。


デパートなどで 祖母 母 孫でお買い物をしている人達を見かけると マンパワーあっていいな と思っていた。


生まれた時色々あって ミルクを飲ませて足りない分は胃管を使ってミルクを胃に入れていた。今思えば理解(発達特性あり)が出来るけれど。

その当時は我が子はうるさい場所ではミルクが飲めなくて 足りない量は胃管になってしまう。


胃菅はゆっくり 落とさないといけないので 哺乳瓶でミルクをあげるよりもずっと時間がかかる。


その上 我が子が怒らない高さでずっと抱っこをしていなければならなかった。1時間半くらいだろうか(忘れてしまったけど)


デパートの授乳室で授乳をしていたら

おばあちゃん 母親 お孫さんの方達が キャッキャッしながらオムツを替えている。


その大きな騒ぎ声で我が子がミルクを飲まなくなってしまった。それで「すみませんが 静かにして欲しい」と頼んだら そのおばあちゃんが「子どもなんだから仕方ないでしょう💢」と怒鳴ってきたのだ。


子どもというよりは 大人がうるさいのだけれど

私はそのマンパワーに負けて 授乳室の中で胃管のセットをし 1時間半くらいを同じ姿勢のまま抱っこし続けた。


涙がポロポロ出てきて

手伝ってもらえる人は 幸せだな と思った。


デパートに出かけない という選択肢もあったのだろうけど 尋ねて来る人もいない家で母子で過ごすのは苦痛で デパートへ出かけるのが唯一の楽しみだった。


その方達は 私の状況など知らないので 仕方ないと思っていたけど 自分の母親がそばにいて 子育てを助けてもらえる人がいるんだな いいな。

それに比べて 私は 子どもも育てにくいし いつも1人だし 違いすぎるな と色々ネガティブに思っていた。


だから 母性という映画を観た時

子どものままでいたい人がいるんだな

私には そのチケットをそもそも ずっと持ってなかったんだから この感覚を知らないはずだな と思ったのだ。


母親が他界したとき 私は27歳くらいだったけど

仕事関係の方に言われたのが

「自分も母親が亡くなってるけど 1番こたえたのは 自分の子どもが産まれた時だ」と言っていた。

その時は 母親が亡くなって大きな喪失感があったので それを越える時が来るのかなと思ったけど

本当にそうだった。


自分の母親から教えてもらえるはずの事が すっぽり抜け落ちてしまうのだ。


ささいな声かけさえもかけてもらう事はない。


「しっかり食べるのよ」とか

「重いものは持たないように」とか


本を読めばわかるような事でも

声をかけてもらうのと

本を読むだけでは

何か違う。


産まれてからも 乗り越えなくてはならない事が 多分普通のお子さんよりも多い子どもだったので

夫は居てくれてありがたかったけれど 同性のぬくもりがあったなら もう少しいいのにな とは思う。


娘でいた時って いつまでだったんだろうな。

忘れてしまったよ。