令和2年8月11日(火)
長男の誕生日、22時半 突然来訪。
フィリピンと、日本の入管情報などの話で ・・・2時間
フィリピンは8月5日から? ロックダウン、15日間
日本の入管からは 日本人配偶者の新規入国を認めた・・など。
画像は 8月7日の散歩開始。仙台堀川公園。
7月中に もう咲いた 彼岸花 と・・
そのヒガンバナの茎に、よく見るとセミの抜け殻が・・・。
※ 12日は、歯医者へ。 13日は 家内のために家を出て・・。
〇読売新聞 戦後75年 より
・・・吉田陸軍大尉 の次女(68)の話
・父は戦争のことをほとんど話さなかったが、
戦友の手記で知った。
・その戦友は 1942年7月ニューギニアのギルワに上陸。
・敵意基地を見下ろす山によじ登る
・・戦況が急変し撤退命令。
・仲間とはぐれ川のほとりで倒れたところで、
撤退中の父親に会う。
・父は彼を見捨てず30㎞の退路を背負うように引っ張った。
・その後、ビルマ、カンボジアに転戦。
・日本に帰る最後の飛行機6人乗りすでに満員、
そこへ妊婦が・・。
・席を譲った父。現地に残った。
祖母の元に戦死公報が届く。
・葬式も済ませたあと、1
946年5月父はサイゴン経由船便で帰国。
・戦線では山砲を分解、80kgある砲身を担いで走った。
・父は1967年、事故で48歳で逝去。
徳島県の高校教員だった。
・北村西望先生の、長崎平和記念像のモデルをした。
当時の兵士の嘆き「ジャワは天国、ビルマは地獄、
死んでも帰れぬニューギニア」 13万人が犠牲になった。