令和2年8月10日(山の日)
読売新聞 戦後75年を数日分まとめて読んだ
唖然とする事実、しっかり語り継いでいかないと・・。
画像は 8月2日のラグ、隅田川テラス散歩
清洲橋を渡り永代橋で もう一度わたり 一周回って元のところ
帰り道 清澄公園、木場公園を通り 帰宅。
14日から4日間は ラグは我が家に・・・♪
〇読売新聞 戦後75年より 備忘
・・・キッコーマン名誉会長 茂木さんの話
・小学校4年生までは、この戦争は日本が勝つと言われ続け、そう信じていた。
・1943年6月に 山本五十六連合艦隊司令長官の国葬が印象深い。
・驚いたのは3月10日。40km離れた野田では爆弾の音は聞こえません。
・東京の方向の夜空が真っ赤に染まった。その後 灰が沢山降ってきた。
・父は40歳代、徴兵は免れたが、翼賛壮年団に入り爆弾が落ちるとその処理。
・野田には落ちなかったが、空襲警報が鳴るたびに自転車で飛び出していった。
・群馬県太田が爆撃にあったときは野田にいても地面が揺れた。
・10km離れた流山に落ちた時も、すごい振動を感じた。
・飛んできたB29.、高射砲で迎撃したくても、届かない。負けると思った。
・8月8日にソ連が宣戦布告、満州に入ったことを知った時、だめだと思った。
・終戦直前には、B29から「8月中に、八王子と野田を空襲」とビラがまかれた。
・東京大空襲 ・・約27万戸が全焼、被災者100万人、死亡8万人。