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「ダビデの子イエス」       十二章三五ー三七節


  イエスが宮で教えておられた時、イエスの方から人々にこう問うのであります。「律法学者たちはどうしてキリストを、つまりメシヤをダビデの子だと言うのか」と聞くのであります。


 これは一連の律法学者やパリサイ派やサドカイ派の人々との論争の最後に当たります。


 マルコによる福音書では、十三章では、小黙示録と言われております、イエスの終末についての預言があり、そして十四章から一気に、十字架の道に突き進んでいく事になるわけで、この論争がイエスの最後の論争になるのであります。


  その最後の論争では、イエスの方から、「キリストはダビデの子か」とあえて聞いたというのであります。


 これはどういう事かといいますと、イスラエルの中ではメシヤが現れる時には、ダビデの血筋を引く者として登場するという期待があったのであります。それで、もしメシヤが現れるとしたら、それは「ダビデの子」で、メシヤの事を「ダビデの子」と呼ぶようになっていたのであります。


  イエスがエルサレムにロバの子にのって入城した時、人々はイエスがいよいよメシヤとしてご自分をあらわにして活躍してくれるのだという期待をもち、マタイによる福音書では「ダビデの子にホサナ」といって歓呼したのであります。


 マルコによる福音書の方には「われらの父ダビデの国に、祝福あれ、いと高き所に、ホサナ」となっておりますが、マルコ福音書にも、ひとりの盲人がイエスに対して「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と、イエスをダビデの子として呼びかけておりますから、ここでもキリスト(メシヤ)はダビデの子だと人々が考えていたという事を示しているのであります。


 イエスご自身もご自分が「ダビデの子」として、呼ばれる事を甘んじて受け入れいるのであります。
  

  しかし、ここでイエスは最後に自分がいよいよ十字架の道を歩む時、そのダビデの子としてのメシヤ像を否定しようとするのであります。


 それはわれわれにとっては、ちょっとあまりなじめない議論の仕方なのですが、何か言葉じりを使うような屁理屈のような議論なのですが、イエスは詩篇の一一○篇を引用して、その事を言うのであります。


 これはダビデが歌ったとされている詩篇なのですが、そこでダビデ自身がこう言っているではないかというのです。

 「主はわが主に仰せになった。あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい」と、言っている。

 つまり、この最初の「主」は神様の事です、そして次の「わが主」というのは、メシヤのこと、キリストの事です。

 ダビデがそのメシヤに対して、「わが主」といって呼びかけているのだから、メシヤはダビデよりも上に位するもので、ダビデの下位に属する事をあらわす「ダビデの子」であるはずがない、キリストはダビデの主人であると、こういう議論をイエスは仕掛けて、ご自分がダビデという王の下に位するメシヤではない事を明確にして、十字架の道を歩もうとするのでります。


  これは何もイエスが自分はダビデよりも偉い位置にいるのだと威張って、こういう議論をしているのではないのであります。


  もしメシヤが現れるとしたら、それはダビデの子だという信仰がどうして生まれたのでしょうか。


 それはもちろんダビデはイスラエルの国の中で、人々が一番尊敬したイスラエルの王だからであります。ダビデがイスラエルを名実ともに一つの国家として統一しましたし、ダビデが当時のイスラエルを脅かしていた最大の敵国であるペリシテ人を退けて、国の領域を広げたということから、ダビデは理想的な王として、人々の尊敬を集め、やがてもう一度このダビデのような王が現れて、自分達の国を救ってくれるのではないか、そういう期待から、もしメシヤが現れるとしたら、それはダビデの血筋を引く、ダビデの子だという信仰が生まれたのであります。


 そして聖書もそれに沿って、イエスの系図上の父であるヨセフはダビデの家系に属すると、マタイによる福音書のイエスの系図は示し、パウロも「御子は肉によれば、ダビデの子孫から生まれ」と言っているのであります。
  

  しかし、旧約聖書に描かれておりますダビデはどういう人物だったのか。旧約聖書に書かれているダビデは、われわれが期待するような、なにか理想的な王として描かれているわけではないのです。むしろ一人の人間として、人間的な弱さをもった、一人の罪人として描かれているのであります。
  

  ダビデはまだ少年の時に、当時のイスラエルの敵ペリシテの将軍である大男のゴリアテをたった石五つのほか何も武器をもたないで、倒してしてまうという手柄を立てて、それから一気にダビデに対する人々の評価と期待が始まり、当時のイスラエルの王様サウルの事を皮肉って、「サウルは千人を撃ち殺し、ダビデは一万人を撃ち殺した」というはやり歌ができたというのです。


 それでサウルは自分の王位がこのダビデに奪われるのではないかと恐れて、そのダビデの命を狙い始めるのであります。


 そのダビデの逃亡生活の様子を、聖書は実に詳しく記すのです。そしてサウル王がペリシテ軍との戦いに敗れて自害すると、ダビデはイスラエルの王になります。


 しかし、聖書は、その後ダビデが政治的に力を発揮したという事は余り詳しく描こうとはしないのです。むしろダビデがエルサレムを自分が政治をする首都として建てた時、まず第一にダビデがした事は、それまで敵の手に奪われいた神の箱、そこに神が御臨在するという信仰がありました神の箱を、自分の政治をする町に設置した事だったという事を印象的に記すのであります。


 その時、この王様はうれしさの余り、家来たちの前で、裸同然の姿で喜びをあらわして踊った。それを窓の上からみていたダビデの妻ミカルは、王を皮肉り、「イスラエルの王はなんと威厳のあった事でしょう。いたずら者が恥も知らず、裸になって踊ったのだから」と言うのであります。

 それに対してダビデ王は憤然として「わたしを王としてくださった主なる神の前で踊ったのだ。これからもわたしは主なる神の前で踊り続けるだろう。それによって、お前に軽蔑されるかも知れない。しかしそれによって、わたしは家来たちからは誉れを受けるだろう」 というのです。


 そして聖書は、この仲のよかった夫婦はこれを契機にして冷えきってしまったと書くのであります。


  そしてその後、聖書はこの事を伏線として、このダビデ王がある時、ひとりの人妻を恋してしまう。王としての特権を利用して、この女と関係を結び、妊娠させてしまうと、ダビデは非常に卑劣な隠ぺい工作をする。

 この人妻、バテシバの夫ウリヤを、戦場の激しい戦いの先頭に立たせて、彼を戦死させて、抹殺してしまう。それは神を怒らせた。神は預言者を遣わして、王にその罪の重大さを指摘する。

 この時、ダビデは自分の罪に気づき、自分の王としての立場を捨てて、ひとりの罪人として神の前にひざまずくのであります。その時歌った歌として残っているのが、詩篇の五十一篇であります。そこでダビデはこう告白するのであります。

  「わたしのもろもろのとがを洗い去り、わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。わたしはあなたに向かい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。

 ヒソプをもって、わたしを清めてください。わたしを洗ってください。わたしは雪よりも白くなるでしょう。み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとく拭いさってください。神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい正しい霊を与えてください。わたしをみ前から捨てないでください。」と、神に訴えるのであります。

  それに対して、神はダビデの罪を赦しますが、しかし、バデシバとの間に生まれた子どもは罰を受けて病気になります。ダビデはこの時、断食をして必死に子どもの病気の快復を祈りますが、神の裁きは厳しく、この子どもは死んでいきます。

 
 聖書はそういうダビデのいわば個人的というか、人間的な側面を実に詳しく記していくのであります。政治的なことは殆ど関心がないかのようにであります。


  そして更にダビデは最後には自分の息子アブサロムの謀反に会い、一時は自分の王宮を後にして、難を逃れるという逃亡生活を強いられます。

  その時のダビデの様子を聖書はこう記します。「ダビデはオリブ山の坂道を登ったが、登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った。」

 そしてその時、かねてダビデが王になることを快く思っていなかった前の王サウルの一族の生き残りのシメイという人間がこのダビデに石をなげつけながら、こういって呪った。

 「血を流す人よ。よこしまな人よ、立ち去れ、立ち去れ、あなたが代わって王となったサウルの家の血のすべての怨念が、今あなたに注がれるのだ。」と呪った。

 それで一人の人がダビデに同情し、「このシメイの首を取らせてください」といいますと、ダビデ王は「彼が呪うのは、主なる神が『ダビデを呪え』と言われたから呪っているのだ。そうであるならば、だれが『あなたはどうしてこういうことをするのか』と言えるだろうか」と言って、ダビデはそのシメイの呪いを甘んじて受けとめたのであります。

 
 この反乱は幸いにして、おさまりましたが、自分の息子を殺すのに忍びがたく、この反乱の頭アブサロムを捕らえても、殺すことだけはするな、とダビデは自分の将軍に厳命するのですが、将軍はその王の命令を無視してアブサロムを殺してしまう。


 その事を知ったダビデは「わが子アブサロムよ、わが子、わが子アブサロムよ、ああ、わたしが代わって死ねばよかつたのに。」といって号泣した。

 そのためにダビデについていた部下達は戦いに勝利しておりながら、まるでお葬式のようだったと、聖書は記します。そしてこの事からだんだんと人心はこの王様から離れていくのであります。


  そして聖書は、このダビデ王の晩年を「ダビデ王は年がすすんで老い、どんなに衣を何枚着せても温まらないので」、家来達はこの哀れな王のために一人の若いおとめを探してきて、王に添え寝させてあげた、と記すのであります。


  聖書は何故こんな事まで詳しく記すのかと思う位に、ダビデの人間の姿、もう王として何の力もない、一人の老人の惨めな姿をあらわに描いて、そのダビデの生涯の最後を閉じるのであります。


  少しながながと紹介しましたが、これが後に、メシヤがもし現れるとしたら、ダビデの子として登場すると、人々が期待したダビデの姿、聖書が描くダビデの姿なのであります。


  当時のイスラエルの民がダビデに見た王の姿はこれとは違っていたかもしれません。もっと民衆の目には自分達の国を救ってくれた理想的な王としてのイメージがあって、それでやがて現れるメシヤは、「ダビデの子」だという信仰が生まれたのかも知れません。


 しかし、繰り返すようですが、聖書は政治家ダビデではなく、罪に苦しむ一人の人間としてのダビデ王を描くのであります。
  

  アレキサンダー・ホワイトという偉い説教家がこういっているそうであります。「自分は子どものころは、日曜学校などで、よくダビデがゴリアテを倒した聖書の話を喜んだものだが、大人になってからは、ダビデがシメイに罵倒されて、謙遜になる話が好きになった。そして自分の子ども達にも、そうなってほしいと思っている。」


  ゴリアテを倒す勇ましいダビデの姿ではなく、シメイから罵倒されののしられ、涙を流して逃亡するダビデの姿を、子どもの時から学んで欲しい、そして好きになってほしい、というのであります。


  今イエスは「キリストはダビデの子ではない」というのであります。そんなみじめなダビデの子である筈はないというのでしょうか。神の子であるキリストは、もっと栄光にみちたメシヤだというのでしょうか。そうではないと思うんです。


 イエスは今いよいよ十字架の道を歩もうとするからであります。人々からつばきをかけられ、ののしられ、侮辱されて、その道を歩もうとするのであります。

 あのゴルゴダの丘まで、自分が処刑されるための十字架を背負ってとぼとぼと歩いていかなくてはならないのです。ゴルゴダへの道を一歩一歩歩くキリストの姿は、まさにあのシメイにののしられ、これは神の自分に対する裁きだと思って、そのののしりを甘んじて受け入れて、山を泣きながら登っていくダビデの姿と似ていないでしょうか。


  ダビデが、ひとりの罪人として神の前に立ち、そして神の前に罪悔いる人間として立つ王ならば、それがイスラエルの理想的な王の姿として聖書が描こうとするのならば、イエス・キリストはさらにもっともっとひとりの罪人として、すべての人の罪をご自分が身代わりに一身に担い、神の裁きを受けて、ダビデよりももっともっとへりくだって、謙遜になって十字架で死んでいこうとするメシヤなのではないでしょうか。


 そして、そのメシヤ(キリスト)こそ、神の子なのだ、だから、もはや単なる「ダビデの子」ではないのだと、イエス・キリストは最後に明らかにしておこうとしたのではないでしょうか。イエスは神の子でありながら、あのダビデよりも、もっと徹底して一人の罪人として神の前に立とうしているメシヤなのだ、それが神の子なのだと、イエスは宣言して、十字架の道を歩もうとするのであります。

 

 

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「レプタ二つを捧げる」      十二章三八ー四四節

 

  今日の聖書の箇所は、いわゆる「レプタ二つ」と言われている箇所であります。


 イエスが神殿の庭で、さい銭箱にお金を投げいる様子をなんとなくみていたのでしょう。金持ち達はあり余るお金の中から、沢山のお金を投げ入れていた。

 その時、貧しい女がレプタ二つを投げ入れた。レプタ二つでは、それは一コドラントに当たり、当時の労働者の一日の賃金の十分の一にしか当たらない額だそうです。

 それを見てイエスは「あの貧しいやもめはさい銭箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」と言われたというのであります。


  これは何もイエスが生活費全部を献金する事を奨励しようとしたわけではないだろうと思います。


 どこかの新興宗教の教祖や幹部がやりかねない事をイエスが言う筈はないのです。


 第一、彼女が生活費全部を捧げて、後の生活はどうなるというのでしょうか。いくらなんでも一コドラントが、彼女の生活費全部とは考えられませんし、イエスがそんな細かい事まで、知っているわけではないと思います。


 その後、十三章では、イエスの弟子達がエルサレム神殿の立派さに感嘆したら、イエスは「これらの大きな建物をながめているのか、このお前達が感心している宮もやがて木っ端みじんに壊れる時がある」と言って、そうした信徒の献金で建てられた大きな神殿を批判するのであります。


 そのようなやもめの尊い献金も人間的野心の壮大な神殿に用いられてしまうのであります。


 そうであれば、生活費をすべて捧げて献金する事をイエスが奨励するはずはないのであります。


 第一この時、イエスはこのレプタ二つを捧げた女の行為について述べる時、女をみんなに紹介して、みんなに大声をあげてほめたのではなく、ただ弟子達だけをひそかに呼び寄せて、そう言われただけなのであります。

 レプタ二つを捧げた女を別にほめたわけではないのです。ですから、これは信仰的な美談なんていうものではないのです。

 
 これはこの女の生き方の問題、生き方の姿勢の事であります。レプタ二つをもっていたのですから、レプタ一つを残しておいて、レプタ一つだけ投げることも出来たわけです。しかし二つとも捧げた。自分の持っているすべてをゼロにして、ただ将来を神に委ねきって生きようとする姿勢、それをイエスは弟子達に言っているのであります。


  初代教会においては、貧しい信徒の生活を支えたり、伝道のために、多くの信徒が自分達のもっている土地や家屋を売って、それをお金に変えて、教会に捧げた時期がありました。


 しかしそうしたやりかたは、やはり無理があっていつのまにか立ち消えになっていたようなのであります。


  ですから、生活費を全部を捧げたという事が問題ではないのです。彼女が家になにがしかの生活費があったってそんな事はどうでもいいことなのです。今さい銭箱を前にして、レプタ二つをしっかりとにぎしめて、そのうちの一レプタだけを捧げたのではなく、手にしているレプタ全部を捧げて、手を空っぽにしたという事であります。


 ですから、額の問題ではない、捧げ方の問題、というよりは、神に対する姿勢の問題であります。
  

 お金とか家族とかあるいは健康とか、そういう所で、自分の生活の基盤を確保しておいて、それだけではなんとなく不安なので、神を信じていこうとする生き方でいいのか。


 自分というものをいつでもどこかで確保しておくという生き方、自分自身をすべて投げ出すという賭けをしないという生き方、そういう事でいいのか、そういう神の信じかたの問題であります。


 もちろん始終そんな賭けのような生き方をする必要はないと思いますが、「この時」と言う時、自分を賭けなくならない「この時に」賭ける事をためらってしまっていないか、という事なのであります。


  「この時」という時には、自分の退路を断ち切って、自分の今まで渡って来た橋を断ち切って、神に委ねきってみる、そういう信じかたをしてみるという事が必要だという事であります。


 いつでも、自分を捨てる用意している、そういう覚悟をもちながら、生活しているかという事であります。


 それは具体的に言えば、明日の事をもう思い煩わない、そういう生活をしているかという事であります。


 明日という日を、いつもいつも自分の計画と、自分の持っている貯金とか、自分のかけてきた保険とか、そういうもので安定をはかろうとするような生活の仕方していていいのかという事であります。


  あるいは自分の命のことで、自分の健康のことばりを気にして、自分の生活については健康のことばかりしか、関心がないというつまらない生き方になっていないかという事なのであります。


 もちろん病気の時には健康のことしか関心がいかなのは当然の事であります。そうい事ではなく、普段の健康な時も自分の身体のことばかりを思いわずらっていないかという事であります。

 会えば話題は健康のことだけというのは情けないことであります。自分の命のことは、もっとふっきてしまってもいいのではないか。自分の命のことを神に委ね、明日の事を神に委ねて生きてみる、そういう生き方をしてみてもいいのではないかという事であります。


  イエスが今、レプタ二つを捧げたやもめ女の献金の捧げ方を通して、弟子達に語ろうとした事はその事ではないかと思うのであります。