母との関係 | 光と愛のメッセンジャー☆きより

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先月の発表会のあと、なんだか子供の頃のことをよく思い出していました。

本当に私の母は、昔からあまり私のこと褒めてくれなかったなって。


いい成績とっても、絵画で賞もらっても、あまり褒めてはくれませんでした。

結局、私のこと褒めてくれたのは、ピアノは上手だなって言ってくれたことだけかも。

だから、私は音大に進んだのかも・・・・〔短大ですが〕

なんだか、母に認められなかった子供時代の私が、今も私のインナーチャイルドが、泣いています。

今から思えば、母は小学校の教師で、ずっとフルタイムで働いて、

おまけにお姑さんと同居していたので、色々大変だったんだろうなと思います。

でも子供の頃はそんなことわからないし、話もあまり聞いてもらえなかったから、

私は寂しかったんだろうなあと思います。

大人になってから、母に聞きましたが、あの頃は

「お母さん、・・・・・・」と話しかけると、おばあちゃんが全て答えてしまって、

母は返事が出来なかったと言います。私は無視されたと思いました。


子供はお母さんしか見てないから答えるべきですよね。

でも今、大人になって思えば、姑さんに遠慮があったのかもしれません。

当時、私は誰にも寂しいとも言えなかったんです。

今、このことを思い出しただけでも、涙が出ます。

もしかして、今が、インナーチャイルドを癒す時期なのでしょうね。

朝はいつも私より早く家を出て、帰りは晩御飯が終わってから、帰宅。

晩御飯は祖母が作ってました。

考えたら、私はお母さんに朝ごはん作ってもらったことありません。

さすがにお弁当は作ってくれましたが。

友達の家に遊びに行くと、そこにはお母さんがいて、おやつなんかが出て、

すごく不思議に感じたのを覚えてます。

私にとってはお母さんがいないのが当たり前でしたから。

この感覚、あまり人にはわかってもらえませんが。


だからか、私は子供の頃はひどい喘息持ちで、いつも月曜になると

喘息の発作が出ました。たぶん日曜はお母さんと一日中、一緒にいて、それで月曜にお別れするのが、いやで発作が出ていたのだと思います。

かかりつけのお医者さんにも、「甘えた喘息やな」とよく言われました。


「じゃあ、おばあさんがお母さん代わりに可愛がってくれたんじゃない?」と

言われたことありますが、おばあちゃんはあまり子供好きな人でないので、

それと、私は扱いにくい子だったので、嫌がられてました。

私には兄と妹がいますが、誰もおばあちゃん子にはなってません。


母も、私が子供の時は、おばあちゃんが毎日出勤前に、今日は何時に帰るのか、○○〔私〕が悪いことばかりするから困る〔嘘です〕、夕食のおかずは何がいいか・・・等、

いつも愚痴られたと言ってました。

母いわく、今から考えたら、おそらくあの頃、おばあちゃんは更年期だったのかもしれないと・・・。


なんだか今、私って寂しかったんだって、自分で自分のインナーチャイルドを認めたら、自分でもありえないほど、涙が出ました。

寂しいという気持ちを子供の頃、押さえ込んでいたんでしょうね。

つらかったんだね、とハグしてあげました。

今日はこの辺で終わります。なんだか暗くなってすみません。