私は一応医学博士号と言うのを頂いております。

子宮体癌の抗がん剤感受性に関する論文を書いて埼玉医大に提出して学位を頂きました。

昔は学位と言うのは足の裏の米粒と冗談で言われていました。取らないと気持ち悪いけど取っても食えない(笑)事を指していたのです。

当院に来院の患者さんも私が博士だからと来て下さる方は多分ゼロでしょう。昔の田舎での開業の箔付けの為の悪習がまだ残っていた時代です。

忙しい仕事の合間を縫って夜にガン細胞を培養し、ヌードマウスと言う免疫の弱いネズミにガン細胞を注射し、と今思えばよくもあんなに働いていたものです。この時間は今で言う自己研鑽です。そしてその他に毎月一回くらいは小さな学会から大きな学会まで症例報告やデータをまとめた発表などとにかく学会発表に追われていたのが昔の大学病院の研修医でした。全部残業代の出ない自己研鑽???

私は結局学会に追われるのが嫌で臨床一本でやって行きたくて大学病院を辞めました。押し付けられた自己研鑽はやはり嫌で仕方なかったのです。

学位はせっかくやって来た事がゼロになるのは嫌なのでなんとか仕上げた結果です。

過労死問題に関して頭の中が整理されて来たのでこの話を書いています。

押し付けられた学会発表や研究は真の自己研鑽では無いのでストレスでしか無い。しかし、先日のブログで述べたような逆子の分娩で泊まり込むなど自分が勉強や経験をしたくて自発的に取り組むものは真の自己研鑽でありストレスにはならない、という結論です。

医者になってすぐ自衛隊中央病院の外科で研修を始めた時の指導医だったU先生の言われていた言葉「平松くん、国試の成績とか学生時代の成績とか関係あれへん。医者になってからどれだけ勉強するかで差が付くんやで」と言う言葉、当直の時は分厚いテキストを当直室に持ち込んで読んでおられた姿は今でも忘れていません。今でも私も燃えています。

我々世代は自己研鑽と言う名目で若い医師に雑用や上司の面目の為の学会発表を押し付けない、昔の武勇伝を語らない。押し付けられたものは真の自己研鑽ではありません。若い医師たちは働き方改革の言葉に甘えてサボらない、真の自己研鑽を積む。自己研鑽と言うからには自発的なものこそが真の自己研鑽なのです。その区別が大事と思うのです。

だから、今の時代足の裏の米粒は不要です。最低限専門医は取りましょう!と言う事です。

そして、その先は患者さんの為により良い治療がしたい、今の問題を何とか出来ないかと思うプロフェッショナルならば、自然と自発的に調べたり勉強したりする筈なのです。

この文章の終わりに、過労死された医師たちの御冥福を心よりお祈り申し上げます。