お母さんと会えるのは
1日に5分くらい。

近くの市場で待ち合わせして、
夜ご飯のお金をもらう。
その瞬間がすごく嬉しかった。

もらった1000円で、
近くのお店でカップラーメンを
買って帰って食べる。


小さいこどもたちだけで過ごす毎日。
夜はとても冷たかった。


みんなで寄り添って寝ていた。


そんな環境の中で、私はいじめにあっていた。

お風呂にも入ってない、毎日同じ服。

嫌がられるのは当然?かな。



無事に小学校を卒業し、中学校に入学。

全く家に帰ってこないお母さん。
仕事が忙しいから仕方ないと
自分に言い聞かせ、妹や弟たちと
生活していた。

私なんかよりもずっと我慢して
寂しい思いをしているのは
弟たちなんだと、そのときは
思えなかった。

自分のことで精一杯だった。

お母さんはおじさんの家へ
私たちを連れて行って
くれるようになった。

毎日、夜になると、
車に乗っておじさんの家へ行った。

お母さんと夜、喋りながら
ご飯を食べたりお風呂に入ったり、
涙が出るほど嬉しかった。

心が傷つくことの方が多かった
人生の中で、少しずつ明るい方に
向かって行くのがわかった、、






3年生の始め、お母さんのお兄ちゃん
が一人暮らしをしている家に
よくみんなで遊びに行っていた。

その近所に、同じ歳くらいの
男の子の兄弟がいて、いつも
一緒に遊んでいた。
そんなこともあって、家族ぐるみの
付き合いになり、家でご飯を食べたり
みんなで集まることが多くなった。

お兄ちゃんの友達もよく
遊びに来ていて、そのうちの一人が
お母さんのことを気に入ってしまい、
軽くストーカーになっていた。
それに困り、お母さんはその近所の
男の子の母親に相談する。
相談しているうち、その母親は
お兄ちゃんの友達に惹かれ始め、不倫。
こどもを残し、駆け落ちしてしまう。
その後、こどもを連れ戻しに来て、
正式に離婚。そのままその人と再婚。
お母さんは、もう一人の友達の方と
付き合いだした。
私達もすごく懐いていて、一緒に
色んな所に出かけたりしていた。

そんなときに、お母さん妊娠。
結婚の話しが出ていたとき、
その男が姿を消した。
お母さんを保証人にして
200万もの借金をしていた。
その他にもかなりの借金があって、
ヤクザから追われていて、
家族からも見放されている男だった。
なんとか実家を調べ、尋ねると、
両親は30万だけ差し出し謝罪した。

そんなときに苦しむお母さんを
支えてくれていたのが、
不倫され離婚し、こどもまで奪われて
一人になってしまった
お兄ちゃんの近所に住むおじさんだった。
おじさんはいつも心配してくれて
私達のことも大切にしてくれた。

お母さんはおばあちゃんや、
そのおじさんに支えられて、無事出産。

可愛い男の子が生まれた。

でもお母さんは借金の返済に追われ、
すぐに仕事を始める。

パチンコ屋で働き始め、
ほとんど家に帰ってこなくなった。

おばあちゃんが毎日家にきて
くれただけでも心強かった。

小学3年生で、赤ちゃんを育て
兄弟の面倒、ご飯の世話、
全てこなすのはすごく辛かった。

誰かに頼りたかった。
寂しかった。お母さんに甘えたかった。
それはみんな同じ気持ちだったと思う。

お金がなく、食べるものがない毎日。
ご飯に塩をかけて食べていた。

お風呂にも入れず、洗濯物は風呂場に
富士山の様にたまり、まだ3年生の
私には、洗濯機の扱いもわからず
着るものはなくなり毎日同じ服を着て
学校に行っていた。






それから私達兄弟はまた一緒。
お母さんは必死に飲まず食わずで
働いていた。
ある日、お母さんが
40度以上の熱で配達先で倒れ、
救急車で運ばれた。
意識がもうろうとする中、
私達に歯ブラシを買わなきゃ…
と、必死に言っていたそう。

お母さんは栄養失調だった。
入院している間、私達4人を
面倒見てくれる人がいない為、
退院するまで施設で過ごすことに。


ちょうどクリスマスで、
施設の中でクリスマスを祝った。
施設にはすごく沢山のこども達が
いたのを覚えている。
私達は、怯えるようにひっそりと
その中で生活していた。
うろ覚えだけど、1週間か2週間
くらいでお母さんが迎えに来てくれた。
久しぶりのお母さんの姿に涙が
止まらなかった。

みんなで抱き合って泣いた。

また、お母さんは働き出す。

私は小学生になった。
幼稚園に行かずに小学生になった私。
友達ができるはずもなく、一人だった。

2年生になり、やっと少しずつ
友達ができはじめ、学校が楽しかった。
その頃お母さんは、保険会社で働いていた。
2年生の途中で、お母さんのお姉ちゃん
夫婦が離婚。一緒に住みはじめた。
お姉ちゃんには、私より2こ上の
女の子と同じ歳の男の子がいて、
一緒の学校に通うようになった。

家は2LDKだったので
すごく狭かったのを覚えている。

でも賑やかでとっても楽しかった。

2年生の終わり頃、お姉ちゃん家族は
近くに家を借りて住み出した。

この頃、お母さんはお父さんと
よりを戻していた。
でも、お父さんは3股をかけていて
結局は最低な人だった。