私は小学3年〜6年(記憶は曖昧)の期間で様々な習い事に通っていた。書道、スイミングクラブ、英会話、ソフトボール少年団など。その中で銭湯の2階にあり、かなり非公式で個人レベルの塾へ通っていた。
塾といっても宿題をやるという内容が中心であった。また、他で通っている進学塾の宿題を先生に聞きながら解いている。まさに現代の学童的な空間だったように感じている。私達は『風呂塾』と呼んでいた。
銭湯の2階にある1フロアで約20坪程度、入口横には卓球台があって、最後まで開かれているところは見なかった。会議用の長机が7〜8台並べられ、中央には先生が座る。
口コミや紹介で通いはじめる子供たち。兄弟や先輩後輩が多く、私が通っていた内山下小学校、一部同じ学区の丸之内中学校の生徒が中心で、顔馴染みの子供たちが特に時間も決められず、夕方以降に集まり始め、適時バラバラと帰っていく。
風呂塾は元小学校教員の平松礼子先生が全てだった。先生は元教員のため、近所の子供たちに勉強を教えるということは自然な流れだった。一方で教員らしからぬヘビースモーカーだった。現代では考えられないが、銀の灰皿と缶ピースが文房具やノート等と共に置かれていて、煙を燻らせながら子供達をみていた。兄弟も多く通っていたためか、全ての子供たちの事を名前で呼ぶのだ。私のことは『しんぺー!』と。
兵庫県から風呂屋に嫁いできた先生は、どこか寂しさも感じていたのか、今思えば子供達との時間を楽しみにしていたのではないか。基本的には放任スタイルではあったものの、私は先生の豪快でかつ優しい指導を受けて育ったように感じる。
同級生で仲良しだったメンバーは私を含めて4名。『みちた・まさし・なおき』小学男子が集まれば、まともに勉強するはずもなく、風呂塾は宿題もそこそこにイタズラに励み、塾終わりに2軒隣のコインランドリーでめんこをしたり、エロ本を探す事が目的となっていた。
そんな風呂塾をいつしかやめてしまい、1年に数回は銭湯には通っていたが、先生を見かけることはあってもしっかり会って話をすることはなかった。
そして
2023年5月13日にきっと30年振ともいえる再会を果たした。しかも他3名の同級生も集まり先生を迎えて、成田屋で酒を飲んだ。
実は風呂塾があった宝泉相生湯という名の銭湯は、約2年前2021年春頃に突如として閉じられていた。私は衝撃を受けて、なんとか先生と連絡がとれないかと気にしていた。
先生は一目で分かる程変わっていなかった。安堵感と懐かしさで、とにかく幸せだった。先生を囲んで本当に楽しい時間だった。そして、先生から銭湯を再開してほしいと言われたのだった。
私に迷いはなかった。
即答で『やる!』と伝えていた。
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