沢田研二との決別の時~井上堯之バンド♪ | スマイルのブログ

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沢田研二を愛し、沢田研二に悩殺された被害者の会代表を勝手に務めています!お気軽にお立ち寄りください!

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ごきげんよううへ

 

遥か昔に同名で記事をUPしておりますが、井上堯之さんの追悼という

意味も含め、同記事を再UPさせて頂きますうっ・・・

沢田研二の黄金時代を共に活動してきた半面、数々の

苦悩があり、ついに袂を分かつまでのひととなりを今一度

思い起こして下さいたのむ

 

いつかは来ると思っていた訃報がとうとう来てしまいました

黄金期を支えた安井かずみ・加瀬邦彦・阿久悠・中井國二を失い、

そして今度は井上堯之さんを失いましたあ゛ぁ゛っ

瞳みのるも完全復活し、内田裕也さんともセッションし、

ワイルドワンズともツアーを回り、そしてついにザ・タイガースも

フルメンバーでツアーを回ってくれました爆笑

ここまで来たらファンとして残る期待はただ一つ!

井上堯之バンドとの復活であると思いますニコニコ

ザ・タイガースの復活よりも簡単に思えたんだけどね…あせ

それも叶わぬ夢となってしまいましたぬおぉぉぉ


井上堯之バンド解散~迷いの日々

「時の過ぎゆくままに」のヒットで歌謡曲界のスターと
なりつつあった沢田研二と井上堯之が思い描く表現の
方向性には、次第にズレが生じ始めていた。
この頃、井上堯之は音楽事務所「ウォーターエンタープライズ」
旗揚げしている。動機は、ミュージシャンによる
ミュージシャンのための音楽事務所を作りたかったためだが、
沢田研二との関係を保つためでもあった。

 



※あいつのやることと背中合わせで生きていくしかないと
思ったんです。ビッグスターのあいつがでっかい玉なら
こっちは、やじろべえの反対側の遠くにある玉、
みたいに思ってバランスを取っていたんです。
だからバンドはぶっきらぼうな顔をして演奏していますよ。
沢田と井上バンドは極端な両性面がなきゃ駄目だったんです。
仲良しバンドじゃ駄目なんです。
渡辺プロを辞めて会社を作ったのもそのためなんです。
同じ屋根の下じゃなくて、別会社を作ってシビアに接する
というのも、あいつに対する僕らなりの尽くし方だったんです※


ヒット曲が増えると共にエンターテイメント性を高めていく
沢田研二。

そんなジュリーの表現のリアリティーを感じられなくなって行く一方で、

映画、テレビと膨大な量の仕事をこなして来ている。

傍から見れば順調に仕事をこなして
大活躍をしている風にしか見えないが、本人にとっては
苦悩の日々だったようだ。


井上バンドとして独自でもこの時に3枚のソロアルバムを吹き込んでますお~!!
その中で井上堯之さんが3枚目に出したアルバムの中で、
【どうしょうもないよ】とか【歌わない男】という歌は
何か本当に井上堯之さんとジュリーとの関係性というか
当時の井上堯之の気持ちが顕著に表れているような
内容になっていますう~ん
やはりそうだった!
こんなコメントが…


※【歌わない男】の中の愛するものを残して行けぬ…
今は沢田とはバイバイ出来ないよってことですよ。
ショーケンはこれを聴いてすぐに怒鳴り込んで来ましたよ
堯之さんもっとちゃんと音楽やろうよ、いい歌作ろうよ!
ショーケンは言い続けてましたからね、一緒にやろうって
ことじゃないにしても※


この時期、ギターも必要以外はさっぱり弾かなくなっていた。
練習すらしなくなったという。


※沢田のツアーで、こういう練習もしておこうってカリコリ
やるわけですよ。それをライヴでやって、録音したのを聴いた時
何だこれ?って思っちゃったんですね。
自分らしくないし。それで自己嫌悪が深まるわけです。
沢田のやってることは僕にとっては興味がない。
でもアイツのことは好きなんです、僕は。だから困った。
だってあいつは、自分のために一生懸命やってくれる人達に
応えようとするタイプなんですよ。そんなの非難出来ないじゃ
ないですか。僕に出来たのは、距離を取りながら
一緒にいることだけなんです※

 


 
そんな風に井上堯之が苦悩する一方、沢田研二は

沢田研二で悩んでいたのかも知れない。
1980年遂に井上堯之は沢田研二と袂を分かつ決心をする。


※結局、僕が自分の力を発揮したのが、映画とか
沢田以外の場所だったから、沢田はそれが辛かったみたい。
他局に行くと僕は楽しそうにギター弾いてる訳だから(笑)
僕自身が1番辛かったのは、居るだけで彼に貢献出来なかった
こと。曲も時々しか作ってやれなかったし。
別れ際に言われました。
ジュリー:堯之さんは僕に何もしてくれなかった!
だから僕は言いました。
沢田な、何も手伝えないでそばにいる切なさも知っておいてくれ
こういうしかなかった※


当時の堯之さんの苦悩がよくわかりますねう~ん
しかし間違いなくジュリーを今日までにした一端は
この井上バンド、井上堯之さんが携わっていたことは
紛れもない事実だと思いますけどね感動
あれだけの重厚な音楽をステージでやってくれていたのは、
井上堯之バンドがあったからこそのものだと今でも思っています。
現にこれ以降その手の音楽は一切聴いていないような気がするだーっ
それらをもう1度何としても聞きたいものだと思っていましたが…

 

 

 

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