病院に勤めていると

病院によると思うけど

年に何回か、ヒヤリハットとかインシデントとか訴訟事例とかなんかそんな事に関して講演を聴いたりしないといけないのですが


事故やミスを減らすために

実際にあった訴訟事例と対策を次から次に聞かされるという講習があり、

ちょっとした勘違いや些細な不注意から人ひとりの命が失われたり大きな後遺症を残した事例とか、説明のタイミング次第でこんな風に受け止められて以後数年かかる訴訟となりました、とか、もうその場に関わってたらいたたまれないなという話が立板に水みたいに怒涛のように読み上げられていって、


もう毎日当たり前にそこかしこでこんな事が起きている気にさせられるものです。それが狙いなのかな。



それもあってか、単なる性格か、

猫の脱走防止や転落防止、誤飲防止などなどへの対策を、まずしないという選択肢は無くて、そこを考えずに過ごす事自体落ち着かないし、言われなくても万一の時の最悪な事態をついつい考えちゃう悲観主義?的なところもあって

人間自身のために

いろんな策を講じているようなところがあります笑い泣き


ただ、押しつけられた対策ではない分、

可能性や相手の性質を考えて、無闇に取り入れるのでは無く、効率よく最小限でポイントを押さえて取り組みたいなという、攻めの姿勢も持っているのです。


で、

我が家には脱走防止柵があるんですが

ものすごーい小さな玄関なのと

出入りする人間が1人なのもあって

それが物理的な行動制限(飛び出せなくする)を担う、と言うわけでは、あまりないというか、そいう役目は、あまり求めていません。


元々くの字に曲がった玄関までの道の、曲がるところに柵をつけていたので、それを突破するという事とドアから外へ出るという事が結びつかない構造(柵を越えた目の前はドアでは無くシューズクローゼットである)になっているのも良かったと思うし、


柵の内側(部屋側)に長めの暖簾をかけて、ドアが開いて外の世界があることを容易に猫たちが目にしないようにして


我が家の猫たちは、というかラナは(ムネはそもそもそんな行動派ではない)帰宅時こそ柵の前まで来てお出迎えをしてくれますが、自分が出ようとか、人間の背後に一瞬見える外に関心を持つとかはほとんど見受けられないまま、5年が過ぎました。



人間にとっても非常に狭苦しい玄関だったが安心の構造だった


ところが

ここに来て人間の事情で

柵の位置を変えなければならなくなりました。

くの字よりも家の中側、

廊下の途中に柵がある仕様に変更となり…


数10センチのことだけど

今まで行けていた廊下の突き当たりに

見えているのに行けなくなって

さらに

柵の前に来れば、その視線の先にドアがあるため、その事も人間はちょっと心配に思うポイントです。


家の中の行動範囲は可能な限り広くしてやりたい、そして「制限されてる感」を、なるべく感じさせないことをモットーに、

天井まで届く柵をつけて防止するより、そもそも向こうに行きたいと思わせないところに力点を置きたい人間は、今回の変更で、柵がかえって向こう側へのロマンを持たせてしまってそうな感じになって、いっそ柵ではなくドアにしちゃいたいような、しかしそれだとこれ以上なくスペースを制限してる感じで本末転倒な気もするし、人間にとっても非常に使い勝手が悪いというジレンマに陥っています。


そして、タイミングの悪い事に

レンガちゃんに構う人間を、いろんな手段で自分の方に振り向けようと、いつもの1.5倍くらい、棚のものを落としたり、洗濯機の裏に行こうとしたり、ただただ走り回ったり、普段よりちょいワルに励むラナ嬢が、


廊下突き当たりまでいつもの感覚で走って行き、柵に激突するという事態が度々起きるようになりましたゲッソリ


ただあまりのモフモフで

それで怪我するとか、痛そうだとかは全く無いようです。それはそんなに心配してなかったんですが…



残念な事態は起きたのでした。

(大袈裟に書きましたが、予め言っておくと別に何の事件性もない話です。続く。)