私が初めて姿を拝見したのは

ムネハル氏が鼻炎治療の真っ只中の頃

しょっちゅう保護団体さんの車に同乗させてもらっていた時だと思う。


「同乗させてもらう」というだけあって

常に団体さんの家にいる保護猫の誰かが、通院していたのだった。

そのうちの1匹が、大ちゃんだった。


「看取りのつもりがもう○年…」爆笑


最初の情報が、それだった。笑い泣き



その後、ムネハルの通院は卒業となり、団体の活動のお手伝いを少しするようになり、打ち合わせで団体さんのお宅に伺ったら、「空気の読めない猫の部屋」と化したダイニングの女子部屋の中に、彼も居た。

そっち方向を向いて歩み寄ろうとしただけで、重低音で唸られた。



食べたと思ったら翌日には口をつけない、と、嗜好のワガママを炸裂させて、我が家から「魔法のお粉」を献上したこともあった。一瞬食べて見せ、皆を喜ばせたが長くは続かなかった。


多分、

そこに彼の性分が表れていたように、

今となっては思う。

あの手この手の治療や投薬、給餌を嫌がって見せながらも、諦める寸前のポイントで、ちゃんと人間の期待に応える。

「俺はもういいんだ、ほっといてくれ」と言いつつも、他人のおせっかいがちょっと心に沁みていた、どこかで「あっ!また食べてない!」と“構われる”のを待っていた、そんな男の姿が見え隠れする。

しんどさをぶつける先に、人間への抵抗があつたのかも。そしてふと、申し訳ないなと思ったり、やめろー!と、思ったり。

日々、高齢者、病者を見ている身としては、容易にそんな人間のイメージが湧いてくる。


愛想のない入院男性が、「隣のアレは何の病気?夜中ホンマにしんどそうや、こないだ看護師に○○言うてた。」と、個室でリハビリしていたらぽそっと質問されたりすることがある。大ちゃんも、絡みは全くなかったかもしれないが、空気読めない女子同士の小競り合いを、上から目線で案じていたりしたのではないか。

彼は、ちゃんと保護部屋のメンバーの一員、あるいは大家族の一員、と考えてたんじゃないか。



そんな彼は、一緒に暮らす仔猫が患った風邪をもらって、一気にダウンした。(その子猫の風邪かは分からないけど…)

それが死期の決め手になったかもしれない。しかし既に腎臓はもう、なんで永らえてるのか分からないくらい不全の状態にあったと思われ、風邪に効く特効薬があるわけでもなく…

看病する団体さんの、その辛そうな状態に打つ手がないと覚悟して、家に置くんだという胆力に、彼の最期の場所がどこになるかが掛かっていた。

(大抵人間の場合その最期は病院になるのが現状である)


大ちゃんは

風邪っぴきの仔猫の鼻グスグスが治り出した頃、そのお家で、息を引き取った。

私はきっと、これは望み通りだったと思う。多くの、死因になるような病気を患った高齢日本人が成し得ない死に方であり、もしも風邪を貰わなかったとしても、いよいよ自分の体がバランスを保てなくなり、脱水、尿毒症…自分の身から出る色んな症状で、枯れそうになっては枯れ切らず…


それが、一緒に暮らす孫(みたいなやつ)から風邪をもらって死ぬ。こんな贅沢,というと不謹慎だけど、「孫の風邪もらっちまってよ」と、虹の橋で他の猫に自慢げに言っていそうだ。

本望だったに違いないと、私は確信している。



今日夕方、

お空に還るそうです。

絵を描いてみたら、

なんかこんなこと言ってそうな気がしました。


大福くん、

お疲れ様でした。


もしも私の考えが当たってたら、団体さんに何かラッキーを降らせて下さい。

そして私にも良かったら、

正解の景品を何か下さい…ウインク