今日のお題は、東京は日本橋(にほんばし)です。


日本橋(にっぽんばし)は、大阪の道頓堀川にもありますが、今回は東京のお話し。


日本橋(東京都中央区)は、主要街道の起点ともなっており、元々は、徳川家康が架橋させたものです。



現在の石橋ができたのは、明治44(1911)年ですから、100年以上経っていますね。そして、国の重要文化財ともなっています。


そこで、今日の本題です。


橋の銘板「日本橋」は誰の筆になるものでしょう?


答えは、何と!最後の将軍、徳川慶喜なんですね!


明治維新後、50年近くも経つのに、なぜ徳川慶喜だったのか??


発案者は、後に「憲政の神様」と呼ばれた、当時の東京市長・尾崎行雄(たち)でした。


家康が架けた日本橋は徳川家と縁が深い。そこで、老体の慶喜に(揮毫の)白羽の矢が立ったのでした。


70歳を過ぎようとしていた慶喜は、当初辞退したものの、「是非に」と請われて引き受けたのだそうです。


慶喜は、明治維新後、勝海舟に抑え込まれて、政治の舞台から身を引き、引退しました。晩年は趣味に生きたけれども、元来野心家で、声をかけられて内心は喜んだのではないか、と見る向きもあります。


「日本橋」と、揮毫することは、「最後の将軍」の、「最後の大仕事」だったわけです。尾崎市長の「粋な計らい」ともとれますね。



日本橋に行かれた際には、麒麟の像も有名ですが、ひっそりたたずむ橋の銘板もご覧になっては如何でしょう。




余談ですが、昭和47(1972)年には、橋の中央に主要国道の起点となる「道路元標」が埋め込まれました。この道路元標の方は、時の総理大臣・佐藤栄作の揮毫(筆)だそうです。



日本橋と言えば、前回の東京五輪の際に、首都高速道路が上空を跨ぎ現在に至り、橋に蓋をした格好になっていますね。とても費用がかかるそうですが、是非高速道路を地下化して頂いて、日本橋の上空がスッキリしたところを見てみたいものです。





今回も、最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。誤謬ご指摘・ご意見等ありますれば、何なりとお申し付けください。