こちらは、重度の卵管両閉塞、複数の巨大子宮筋腫。
お医者様に「自然妊娠は無理です」と言われた私が、第一子を妊娠するまでのリアルストーリーです。
以前、アメブロに記載していたものを一部修正して転記します。
今、必要な方に届きますように・・・。
私のリアルストーリー① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯
~喪失感~
自然流産から数日、我が家のダイニングには1つの小さなビニール袋がありました。
それは、わずか8週未満で出てきてしまった私の赤ちゃんでした。
正確には赤ちゃんを包む胎嚢しか確認できず、胎芽すら写る事はなかったので、医学的には「赤ちゃん」とは言えなかったのかもしれません・・・。
火葬するにも、基本的には「死亡届け」がないと火葬できないようで、12週未満の胎児にはその死亡届けがでないのだそう。
「人」として認められてはいないのだ。
40歳近くになるまで好き勝手に生きてきた私。
好きな場所で好きな仕事をし、ある程度の夢を叶えてきた。
そして、最高のパートナーにも恵まれたけれど
「子供を授かる」
これだけは、この生涯で叶うことのない夢だと諦めていました。
そんな私に訪れた「奇跡」
医学的に、法的に、「人」ではなかったかもしれませんが、お天気の良い日にお腹をなでながら歩いているだけで「こんな幸せを与えてもらえたなんて」と神様に大声で感謝したくなるほど、その存在は大きいものでした。
「喪失感」
失ってしまった悲しみ。
それは最初から手にはいらない悲しみより、何倍も大きいのだと改めて感じさせられたのでした。
主人と私は
「この子が天国へいけるように、2人で供養してあげよう。」
そう話し合い
お天気が良い日に、緑あふれる場所で、2人で火葬し、埋葬しよう。
そう決めたのです。
そして、2人が「ピンと来る」場所を探し始めたのでした。
~体調の悪化~
繋留流産から約2週間・・・
私たちはまだ赤ちゃんを埋葬できていませんでした。
感覚人間である私たちがピンとくる場所
2人の赤ちゃんを預けられる場所
いくつか候補を考え、足を運んでもみましたが、現地へ行ってみるとどうも埋葬する気になれず、持ち帰ってきてしまっていたのです。
私の体調はというとあいかわらずで、流産から2週間近くたったと言うのにまったくツワリがおさまらず、体温も37度を超えたままでした。
空腹になると吐き気をもよおし、食べたい気持ちはあるが、食べれるものは果物だけ
頭痛やけだるさが常につきまとい、回復の兆しは全くない
出血は続いたままで、シャワーを浴びる度にどす黒い血の塊が流れていき、その塊は流産した時の大量の血の場面をフラッシュバックさせ、私の気分をどんどん暗くさせていったのです。
そして気のせいか
お腹が以前より膨らんできているような・・・
まだ、胎内に赤ちゃんの組織が残っていて、身体が「妊娠」状態なのか?
妊娠で血流が増えた為に子宮筋腫だけが育っていっているのか?
お腹の張りはどんどん酷くなり、立っても座っても苦しい状態が続きました。
お腹いっぱい食べた後に、お腹を踏まれている位に苦しく、胃袋は物理的に圧迫されて常に胃もたれ状態。
そんな状態が日に日に悪化していき、とうとう私は堪えきれず主人の前で泣き出してしまいました。
赤ちゃんがお腹にいて苦しいのは我慢ができる
でも、赤ちゃんはもうとっくにいないのに、苦しみだけを味わうなんて!!!
毎日心配してくれる主人の為にも早く元気になりたいと思えば思うほど、悪化していく体調に不安とジレンマを感じ、私はもう自分をコントロールできなくなっていました。
もしかしたら赤ちゃんの組織が残っているのかもしれない。
そうであれば、今さら手術しなくちゃいけないの?
それとも、全く別の病気なのかもしれない・・・。
私の不安はどんどん膨らんでいき、出血がおさまってからと言われていましたが、とにかく病院へ行って確認してみることにしたのです。
つづく
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