こちらは、重度の卵管両閉塞、複数の巨大子宮筋腫。
お医者様に「自然妊娠は無理です」と言われた私が、第一子を妊娠するまでのリアルストーリーです。
以前、アメブロに記載していたものを一部修正して転記します。
今、必要な方に届きますように・・・。
私のリアルストーリー① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮
~あふれ出た感情~
主人は仕事が終わると血相を変えて帰ってきて
「大丈夫?」
「血は止まったの?」
「どれくらい血がでたの?」
とにかく心配でたまらなかったようでした。
私はただ人形のように、コクンコクンとうなずくだけでしたが、出血も落ち着きベッドから起き上がった私を見て少しホッとしたようでした。
「すごく痛かった?」
「・・・・・・痛くなかった。私の身体を気づかって、すぐに出てきてくれた・・・
最後まで、親孝行な子だったよ。優しい子だった・・・」
そう話したとたん、ふいに大粒の涙が膝の上にポタポタとこぼれ落ちました。
今日、繋留流産を宣告されてから一度も出ることのなかった涙が、突然せきを切ってあふれてきました。
「悲しむひまがなかった・・・
悲しむひまがなかった・・・」
たった数時間前、流産宣告をされたばかり
落ち着いたり、事実を受け入れたりする時間もなく
関係ない検査をするのか?しないのか?と問い詰められ
色んなフロアへたらいまわしになって検査を受け
会社は休めず
やっと帰れると思ったら突然の出血。
もう、自分の許容範囲をとっくに超えていました・・・。
ようやく、今、事実を把握することができ「悲しむ」ということができた。
私に戻ってきた感情は、もうおさえることはできず、涙がつきるまで泣き続けました。
主人はただ静かに私を抱きしめ、そっと頭をなで続けてくれました。
私たちに奇跡が訪れた!
そう喜び合ってから、わずか2週間後の出来事でした。
~奪われた意味~
大出血をした翌日、私は何事もなかった様に出勤しました。
出血は続いていましたが、特に体調が悪くなったという訳でもなく、同僚に気づかれる事のない程度に平静を装い、仕事をする事もできました。
ただ、ツワリと37度以上の微熱は全く昨日までと同じで、身体はまだ「お母さん」でした。
そしてそれは、心も同じ…
お昼休み、これまで通っていた近所のクリニックに電話をして、N病院で繋留流産の診断を受け、昨日出血をした事を伝えると
特に痛みや異常な出血がなければすぐに来院する必要はないので、出血が収まってから予約を取って下さい。と指示がありました。
そして…
私くらいの年齢(39歳)だと、12週までの初期流産の確立は30%以上
初期流産の原因は、母親側の問題ではなく、胎児の染色体異常が原因
と伝えられました。
それは「よくある事だから、落ち込まないで」という、ある意味での励ましだったのだと思いますが、私の心が癒される事はありませんでした。
その後、妊娠の報告をした友人に、流産してしまった事を連絡すると、その半数から「実は妹も…」「先日親友が…」と聞きました。
今まで知ることはありませんでしたが、初期流産で悲しい思いをした方が思ったより多い事に驚きました。
今まで妊娠自体が出来ないと思っていた訳だから、自然に妊娠出来る事がわかっただけでも良かった。
次、また頑張ろう!
その時の私には、まだそう思えるはずがありませんでした。
お医者様に妊娠出来ないと言われた私に、神様が授けた「奇跡の子」
この子はよほど運の強い子かと思っていた…
それをなぜ神様は奪ってしまわれたのか…
なぜこんな幸せを一度味わせておいて、ふいに奪ってしまわれるのか・・・
「なぜ…なぜ……」
その時の私には、ただそれだけを考えることしかできませんでした。
つづく
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