血圧は毎日朝起きてから測っています。

夏は血圧は130/85くらいでしたが、10月くらいから血圧が高くなり145/95となった。

順天堂の先生に相談しました。薬を増やすかどうかと先生は考えていましたが、もう少し様子を見ようと言われました。

 

2019年10月にてんかんが起きた時も、10月でした。10月の気温で寒くなったり暑くなったりで、血圧が急に上昇してしまったことが原因と思っています。

年末年始でパーティーがいろいろありアルコールを飲むこともあり、高血圧がなかなか治らなかったのですが、1月に入って血圧が120/85と平常になった。

順天堂の先生に血圧を見てもらい、108と68で良好でした。それであれば薬を減らそうと言ってもらえました。

 

毎年10月くらいから血圧を見て、血圧が急に上昇していないか十分注意していきます。

 

 

48歳で脳梗塞になったマイペース日記

 

脳梗塞になってからの海外旅行の話(2019年8月)をします。

 

2017年夏に子供の学童で、父兄のキャンプがありました。その中でディズニーの会社でTDRの運営をしている人がいて話をしていたら、その人がディズニークルーズに行った話を聞きました。すごく楽しくて、お勧めですと言われました。

キャンプの後、妻と話をして行って見ようと決まりました。

ディズニークルーズのHPを見て、2019年の8月にアラスカに行くクルーズを見つけて予約しました。

 

2019年1月に脳梗塞を発症後、病院から退院してすぐベトナムのダナンに行きました。ディズニークルーズも以前から予約していたので、やっぱり行こうと決めました。

 

ディズニークルーズは、カナダのバンクーバーから出港し、アラスカを回ってバンクーバーに戻ってくるコースで、7泊8日の船旅です。アラスカに決めたのは、氷山が見たいのとクジラを見たいという私のリクエストでした。

 

出発当日、成田空港にチェックインをした時に、カナダの電子渡航認証(ETA)はありますか?と聞かれ、持っていないと言うと、出発まで3時間あるので、すぐにWebで申請してくださいと言われました。4人分を申請するのですが、子供の申請が出来ないのでした。係の人に聞いていましたが、係の人もわからないので聞いてきますと言われ、それから1時間待たされました。何とか申請出来ましたが、出発まであと30分しかありません。慌てて出国審査を通り、飛行機に走って何とか間に合わせました。

バンクーバーに到着し、明日の乗船を前に、The Westin Bayshoreでのんびり過ごしました。

 

翌日、乗船手続きをしました。アラスカに行くので、カナダがらUSに国境を越えるので、出国審査をしました。船で国境を越えるのは初めてです。ワクワクしてきました。

 

時間があるのでスマホでFacebookを見ていたら、前の会社の先輩がバンクーバーでFacebookを投稿しているのが分かりました。今、ディズニークルーズの船のそばにいて、写真を撮っていました。すぐ連絡をして、私はこのディズニークルーズの船に乗っているよと伝えました。何という偶然!出港してからも船の写真を撮って、送ってくれました。

 

船に乗って部屋に着いた。結構広く、8日間でも飽き無いくらいだった。

 

出港前にディズニーのパーティが始まり、ミッキーやミニーで踊りました。出発の時に花火が上がり、出港です。

 

ディズニークルーズには、朝から夜まで色々なプログラムあり、ゲーム・ダンス・映画・ショーなど、何をしようかと迷うほどです。また、寄港地ではオプションがたくさんあり予約してから何をしようかと考え、クマとワシを見るツアー、カニを食べるツアー、クジラを見るツアーを選びました。

食事は朝昼晩と3食付きで、アルコールは別ですが、飲み物もただです。

 

ディズニーのキャラクターと船で何度も会い、写真を取りました。

 

アラスカに行く船では、目玉のアナと雪の女王のショーです。

 

私が一番楽しみにしていた氷山です。滝や虹にも出会えました。

 

 

 

我が家で参加したオプションツアーです。

・クマとワシを見るツアー

 

・カニを食べるツアー

 

・クジラを見るツアー

クジラツアーの動画

 

あと大人のプログラムがあったのでシャンパンのセミナーに参加しました。最後にでたのは、Bollinger。

子供たちは保育園があり、英語でチャレンジをしました。

 

デッキで虹を見ました。

 

次女の誕生日が8/24で、ケーキを予約しておきました。海外で誕生日をお祝いしてもらって、笑顔がいいです。

 

7日間にわたり、レストランのサーブして2人に感謝。

 

船長(キャプテン)を一緒に写真。

 

8日間で夢の船旅をしました。バンクーバーの空港で子供たちは疲れてしまいました。

 

本当に夢のようでした。

 

48歳で脳梗塞になったマイペース日記

 

脳梗塞になってからの海外旅行の話(2019年5月)をします。

 

2019年のGWは10連休でした。2018年の秋くらいに旅行の計画を立てました。10連休なんて滅多にないことですので、海外旅行に行こうとしました。行き先は、ベトナムのダナンにしました。ダナンは人気急上昇でリゾートに行ってみたいところでした。

 

ところが脳梗塞になってしまい、2019年1月に脳梗塞になってから4ヶ月間病院に入院していました。妻がGWの海外旅行は、十中八九無理かもしれないとキャンセルをしようと言いました。私は大丈夫と言いました。

2月に病院を転院することになり、最後に先生にGWに海外旅行の予定があるんですけど行けますか?と妻が質問をしました。先生は、飛行機は乗れますと言われ、4月になって体調が良ければいいでしょうと言われました。

転院してから、リハビリをしてGWにベトナムに行くことを目標に頑張りました。

4/25に退院をして、ギリギリ海外旅行に間に合わせました。

 

ベトナムのダナンでのんびりしようと思いました。

ホテルは、シェラトングランド・ダナンリゾートです。

全長250mのプールが自慢です。

 

水泳は得意でしたが、右足と右手が軽い麻痺で、ゆっくりしか泳げませんでした。

でも久しぶりに子供と遊べて嬉しかったです。

 

5/1は結婚記念日と妻の誕生日です。病院にいる時に、ホテルにメールで連絡をしてケーキを用意してもらいました。

 

ダナンでリフレッシュした後、会社に復帰しました。

 

 

 

仕事の話ですが、1月の初旬にラスベガスでCES(Consumer Electronics Show、テクノロジーの見本市)の視察に行っています。

今年はコロナ禍で、USでは海外から入れないので、CES(2021/1/11〜2021/1/14)はオールデジタルでオンラインで見ていました。

 

去年(2020年)に行ったCESについて、まとめておきます。

脳梗塞が起きてから、4ヶ月病院に入院していました。2019年5月から仕事に復帰しました。でも失語症でコミュニケーションが難しいので、仕事はレポート作成やデータの分析を主にやっています。

2019年10月に失語症のリハビリのため東京慈恵医大病院に行っていましたが、新橋から歩いている時にめまいがあり、気を失ってしまいました。幸い、通りががりの人が救急車を呼んでくれて、東京慈恵医大病院に救急で行きました。あとでわかったことは、10月の気温で寒くなったり暑くなったりで、血圧が急に上昇してしまったことが原因と思っています。当時は、てんかんと診断となりました。2週間くらい、頭がくらくらして仕事は休みました。それからは元にもどったのでが、2020年1月にCESに行く予定でしました。2019年12月に会社の人事から、もし海外出張でてんかんが起きたらと、医者に診断してもらい診断書を出してくださいと言われました。急遽、順天堂の先生にお願いをして、海外出張に行っていいかを診断をしてもらい、OKをもらいました。

万が一の場合、海外出張でてんかんが起きたら、カードを作って自分の病気を英語で説明できるように、またラスベガスの病院を探しておいてくださいと言われ、準備しておきました。

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Past illness

-Cerebral Infarction (Jan 21st, 2019)

-Epileptic Seizure (Oct 19st, 2019)

-Paralyzed of right arm and right leg (Jan 21st, 2019)

-Aphasiac (Loss of speech) (Jan 21st, 2019)

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日本からラスベガスに行く時は、通常乗り継ぎで行きますが、CESの時は臨時でデルタとアメリカンの直行便がありました。

私は会社で直行便を予約して行きました。楽です。

私の一番の難しいことは、海外の空港で入国審査でした。海外旅行は家族で一緒にいるので、入国審査が妻が話をしていましたが、海外出張は一人です。入国審査でビジネスと答えると、会社は?仕事は?職業は?何をしに来たのか?何日いるのか?ホテルは?と答えなければいけないのです。失語症でコミュニケーションが出来ないので、どうしようと思いました。

では入国審査でSight Seeingと答えればいいかもと思い、ラスベガスの入国審査官にCESに行くんじゃないの?と言われましたが、Noと答えました。結果的にはOKでした。ふーと、ホッとしました。

 

CESの視察は、展示者に質問してみることが難しいかったのですが、話を聞くことは出来ました。

CES視察は成功でした。ラスベガスも楽しかったです。

会社に帰って、CESのレポートを作り提出しました。

 

 

48歳で脳梗塞になったマイペース日記

 

脳梗塞になってから2年目。順天堂大学浦安病院で、MRI検査と血液検査をしました。

 

先生にMRIの画像を見せてもらい、この1年で新しい脳梗塞はありませんと言われ、血管の詰まりもありませんと言われました。

血液検査は、全部基準値の上限・下限に収まっていました。

血圧も108と68で良好で、薬も減らしてもらいました。

一安心でした。

 

 

48歳で脳梗塞になったマイペース日記

 

右手・右足が軽い麻痺で出来ないこと・苦労していることがあります。

・シャンプーや洗剤の詰め替えで、封を切ってボトルに入れている時に、右手が力が入らないので、ボトルにうまく詰め替えが出来なく、こぼしています。
→ メーカーの詰め替えを小さく出来ないでしょうか? また、右手をサポートしてくれるツールを作ってもらえないでしょうか?

・ミネラルウォーターの箱に入っているビニール袋のミネラルウォーターがあと少しだけある時に、箱に出してビニール袋から容器に移していると、右手が力が入らないので、容器にうまく詰め替えが出来なく、こぼしています。
→ メーカーのミネラルウォーターの箱で全部水を使い切れば出来るでしょうか?

・家のゴミ袋でゴミを入れていっぱいになった時に、ゴミ袋の端と端を結ぶことが難しい。
→ 片手でゴミ袋を結くツールがあればいいのに。

・雑巾を洗ってゆすぐ時に、右手が力が入らなく、水がまだ雑巾に残っている。
→ 片手で雑巾を洗ってゆすぐ時に、ツールがあればいいのに。

まだまだ一杯ありますが、一つ一つ見て行きたいと思います。
今日は子供の運動会。ビデオの係です。
脳梗塞の発症前はホームビデオで撮影していましたが、右手が軽い麻痺で、ホームビデオが右手で操作が難しくなりました。

それでGoProで簡単で撮影をできるので、初めて撮影をしました。
アップが出来ないけど、まあまあ出来ました。



今度、近いところで撮影をやってみます。

あと、ホームビデオで左手で撮影出来ようにならないかな?
メーカーの人、お願いします。







昨年の5月に病院を退院してから、病院でやっていたリハビリを器具を購入して家でやっています。

ストレッチボード
これは足首をのばすストッレチボード。最高で30度の角度で、5分間乗っています。一日2回でやっています。


スピンバイク
自転車漕ぎで、30分漕いでいます。


ルームランナー
まだ走ることが難しいので、ウォーキングで30分歩いています。


ミニ平行棒
歩き方やスクワットをやっています。


これらの機器で家でリハビリをやってます。

今日、次女の運動会があり、午前中は応援をしていました。

雨で運動会はお流れになり、今日になったのですが、今朝も雨で市内の高校の体育館をなった。

何とか運動会は終わり、午後に失語症のリハビリのため東京慈恵医大病院に行くことになった。

 

電車に乗っていると、何だか右手がおかしい。痺れで右手が麻痺してきた。新橋から歩いている時にめまいがあり、気を失ってしまいました。幸い、通りががりの人が救急車を呼んでくれて、東京慈恵医大病院に救急で行きました。

気がついたら病院にいました。リハビリはキャンセルとなりました。応急処置が終わって頃、妻がきました。

てんかんと診察をされました。会計を終わったころ、リハビリの先生とバッタリ会い、状況を話をしました。

 

あとでわかったことは、10月の気温で寒くなったり暑くなったりで、血圧が急に上昇してしまったことが原因と思っています。

2週間くらい、頭がくらくらして仕事は休みました

 

48歳で脳梗塞になったマイペース日記

 

失語症といっても色々な失語症がある。
自分の場合は、頭にあることははっきりしていて、それは何かがわかる。でも喋ろうとすると、言葉が出ない。相手の言葉はわかるのが、伝えたい言葉が出ない。ブローカ失語(運動性失語)と言われている。表出(表出障害)ができない。
入院時は、全然は話せなかったので全失語と言われた。

入院後約1週間してから、言語聴覚士とリハビリが始まった。言語聴覚士がカードを見せると、例えば車のカードの見せると、車が何かということはわかるのだが、答えられない。「くるま」が正解だが、「うはえ」と言ってしまう。何枚のカードを見せるが、その何枚が答えられない、「・・・」と喋られない。これは参った。

また入院した時、会社に連絡をして月曜日のレポート作成を代わりに部下にやって貰おうしていた。自分で連絡が出来なかった。電話ではしゃべられない。メールでは文章が書けない。どうしようかと思ったが、妻が代わりに会社に連絡をしてくれた。多分、3ヶ月から6ヶ月くらい入院になると思ったので、会社に病気の連絡をしてくれたおかげで、リハビリを集中してやろうと思った。

リハビリをしている時に、8(はち)が思いつかなかった。頭は真っ白になった。8が思いつかなかった時に、少し経ってみて、数字とわかった。1、2、3と数えてみて、8が思いついた。これも失語症と思った。