こんにちは、三上みひろです。

 

 

 

image

 

 

 

クライアントさんとの対話で

 

 

私、性格、ドブスなんです凝視

 

 

と自己申告してくれるかたがいらっしゃるんですが、

 

『この人はガチの極悪人だわガーンと思った人は1人もいません。笑

 

 

 

 

 

優しく他人を思いやれる人が多い印象で、

 

むしろ、自分と他人の境界線が曖昧なせいで自己評価を下げている印象を受けます。

 

今日はそのおはなしです。

 

 

 

 

 

冒頭のような事例を見れば見るほど、

 

セルフイメージは過去に囚われた幻で、

 

目の前の現実とセルフイメージの関連は弱い

 

ことに納得感が増していきます。

 

 

 

 

 

 

さて、はなしを進めましてOK

 

 

 

 

 

ワタシ、セイカク、ドブス。

 

 

というセルフイメージを持っている人のほとんどが、

 

子供時代に親から

 

 

万年反抗期ムキー

 

 

なーんていわれて育っていたりします。

 

他にも類似例として、「性格悪い」「いやらしい」「癇癪持ち」「自分勝手」「わがまま」なんていうのもあります。

 

 

 

 

万年反抗期といわれ、表面上は「うるさい!」なんて反発しつつも、

 

 

心の内側では「私は親を傷つけるダメな子、悪い子」「一番大切にしないといけない人を大切にできないクズ人間」というセルフイメージができあがっているんです。

 

 

これが『ワタシ、セイカク、ドブス』の源流でしょう。

 

 

 

 

とはいえ、反抗期は誰にでもあるものですし、

 

【反抗期とは】

精神発達の過程で、他人の指示にたいして拒否、抵抗、反抗的な行動をとり子供から大人へと成長する過程

 

 

 「もうムキー屁理屈いって!反抗期なの!?」と親から数回言われた程度では【性格ドブス】なんていうセルフイメージにはならないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ポイントは

 

万年(まんねん)

 

というところ。

 

 

 

 

そう、長くダラダラと終わりなく、なんならアラサー・アラフォー・アラフィフになっても続く反抗期の状態を万年反抗期といいます。(私の定義では)

 

 

 

 

この長くダラダラと続く反抗期、原因は主に2つあります。

 

 

1つ目は、子供側が精神的に親離れできていないこと

 

2つ目は、親側が精神的に子離れできていないこと

 

 

この2つです。

 

 

 

本来なら反抗期を経て、親と子、

 

それぞれ独立した個として確立していきます。

 

親離れ、子離れのタイミングです。

 

 

 

私は私。母は母。父は父。

 

 

 

というようなかんじで。

 

 

 

 

ただそれがうまくいかず、お互いが依存し合い、癒着しあったような関係になると「万年反抗期」と呼ばれるような状態になります。

 

 

 

 

 

先日、こんな記事を書きました。これがまさに依存と癒着の実例です。

 

父親が私に癒着しており、私は父親と分離し始めている頃ですね。

 

 

 

この記事でのやりとりのあと、父親から

 

父「お前はいまだに反抗期なのか?」

 

といわれたんですね。

 

 

 

 

真顔??????

 

 

 

 

ってかんじじゃないですか。笑

 

 

 

 

 

こちらは「絶対にやめてほしいこととその理由」を伝えて、

 

双方の合意のもと約束をしたにもかかわらず、一方的に約束を破られ被害がでているわけです。

 

 

 

反抗期って…どんな思考回路があったらそんな答えでてくんの凝視???

 

 

とその時は思いました。

 

 

 

 

 

禁足地を土足で踏み荒らしているのはテメーだろ!!

 

 

 

 

おっと、お口が悪くなりました予防ほほほ

 

 

と思ったんですが、おそらく父親の激ヤバムーブはコレが初めてじゃないはずなんです。

 

 

でも、今までこんなこと思ったことなく、「反抗期!?なにさ!フン!!!」と思うくらいで、【反抗期】というワードチョイスに違和感を感じたのははじめてでした。

 

 

 

 

 

 

冷静に考えたらおかしいんですよ。

 

 

30歳、東京で自立して生活している娘に向かって「反抗期」って…w 

 

 

お互い独立した人間、ましてや私は結婚して新たに家庭を作るのだから、「嫌なことは嫌」「これは困ります」と伝えることは普通のことなんですよね。

 

 

繰り返しになりますが、精神的に癒着し、お互いの境界線があいまいだったからでしょう。それまで気が付かなかったし、おかしいと思ったことさえありませんでした。

 

 

 

 

お互いの境界線があいまいだから『私のNOよりも、父親のNOを優先しなければ』と無識に思っていたんだと思うし、そうされて当然と父も思っていたのでしょう。

 

 

 

 

私のNOも、母親のNOも、父親のNOもそれぞれ対等で、お互いが尊重されるべきなのにね。

 

 

 

 

    

NOをまじめに受け取ってもらえない、そのこと自体が不快なんだ!

 

とはっきりしたのがリブログ先での出来事だっただけで、

 

これまでも両親は私の『NO』を無視し、踏みつけ、領地に勝手に侵入し(悪気なく)ていたはず。

 

それに対して、私は癇癪を起こして対抗するしか手段がなかったのかもしれない。

 

 

 

 

…ということに妙に納得したところ、

 

 

「ワタシ、セイカク、ドブ」というセルフイメージのもとである、

 

 

 

万年反抗期で親を大切にできない自分

 

 

 

が浄化されて、

 

私は親離れ、両親は子離れが不十分だっただけで、別に私の性格に問題があるわけではないんじゃないか?

 

むしろ、私、ふつうにいいやつなんじゃないか?

 

と思えたんですよね。

 

 

 

 

ちなみにそれまで私は、自分のことを性格悪い…

 

悪いどころか、ドロドロに腐ったドブ臭のする人間だと思っていました。

 

実際には、あゆが泳いでいるくらいの清らかな川でしたわ。

 

 

 

 

 

 

 

はい、ではまとめ!

 

 

 

①自分の性格をドブスと思っている人は、そのセルフイメージがどこからきているか明らかにすること

 

②両親からの言葉が原因なら、それは両親の激ヤバムーブが原因じゃないか考えてみること

 

③いや、やっぱり私が悪い…と思ってしまうなら、両親と自分の精神的な境界線(物理的に離れているとか経済的に自立しているとか関係なく)ができているか確認すること

 

 

 

 

あなたのNOは尊重されていいし、

 

NOを尊重してくれない相手にNOをするのは普通のことです。

 

 

 

 

それができない相手は、自分と他人の境界線が曖昧なベイビーちゃんなので、適切な距離を保ちましょう。

 

そう、それがたとえ、実の親でもね指差し

 

 

 

 

今日はこのへんで。

 

応援しています!

三上みひろでした。