土曜日ネタをもうひとつだけ書かせていただきます。
この日の会のお土産は、
4年生終了のときに先生がまとめた、
クラス全員に配った文集の復刻版だった。
小学校卒業年は学年文集だったけれど、
小4のはクラスだけ。
想像するに、5年生になるときにクラス替えがあるので、
あの仲間の記念だったのだろう。
土曜日に帰宅して、
さて、と自分の作文を探した。
読んでビックリ、これがまた、なんて下手くそな・・・(絶句)。
拙いという意味ではないのです。
第一に作文のテイを成してない。
そして、一言でいえば、大人に媚びてる。
一文一文媚びていて、まとまりなどあったもんじゃない。
なんだ、この子供は!?って感じ。
今の私なら、こんな子供は嫌いよ、みたいな。
ものすごく周りの目を気にして書いてる。
すごく"いやらしい"文章を書いてると思った。
そんなに周りに褒められたかったのか、私は?!
一番大切なことのはずの、
作文のテーマたるものをまっすぐ見てない。
いや、テーマをもてるほど、ひとつのことに集中してない。
しかも、言葉の選び方がひ・ど・す・ぎ・る。
なんでこんな文章書いたかなぁ、アタシ。
というよりも、いかに周りの、きっと大人の目を意識してたか、
だなと思った。
つまりは姑息な小心者。
それが子供の私が日々スムーズに、
狭い狭い自分の世間を渡っていくのに
必要なことだったんだろう。
なんだか気の毒にすら思えた小4の私だった。
この作文を文集に載せていただいてたということは、
ましな作文がなかったんだとも思う(わかる)。
6年生の文集に載せてもらった自分が書いた文章いくつか、
作文や読書感想文などは、
みんな、今の自分が読んでも納得がいく。
ちゃんと成長していってるぞ。
ちゃんと文章の書き方を覚えて行ってるぞ。
ちゃんと気持ちを書いてるぞ。
ってのがわかるから。
だとすれば、変化は5年生から6年生に起きたのだろうと思う。
今の私の意識の中、
小3~小4の時期はまだ海のものとも山のものともわからない、
まだどんな原石を持ってるのかもわからない状態で、
文集の最後の先生からの、当時の私へのメッセージを読むにつけ、
特性を伸ばす以前の、基本的な人格を作っていく段階だった模様。
そのために大切な物事を、
先生から根気よく言い続けてられていた模様。
それが4年生の終わりごろになってようやく、身に付いたようだった。
小学校の6年間って、人間になっていく長い時間なんだね。
それぞれの段階で確実に身につけて行くべきことがあるみたいで、
先生の背負うもの、役割って大変なんだと、
ようやくわかった。
子供がいないから、こういうことでもないと、
その時期というもの自体に触れる機会がないので。
それにしても。
あ゛ぁ(嘆)
もっと子供らしい作文を、最初から最後まで、きちんと書きなよ。
と、文集の中の9歳の私につぶやいてしまったのでした。