昨日神戸に行く途中京都で新幹線を降りたのは、

駅にある伊勢丹の美術館でやっている

「アルベール・アンカー展」をどうしても見たかったから。


この人の名前と絵を知ったのは、今年1月。

源氏物語千年紀特集が載った「芸術新潮」2月号を買ったら、

第2特集がこの画家だった。

掲載されている絵はどれもとてもかわいらしくてやさしくて、

何よりも画家のモデルに対する温かいまなざしが感じられる。

中でも1枚、とても心惹かれる絵があり、

ただただその絵を自分の目で見てみたかったから。


今回の日本での展覧会の紹介記事はこちら

何枚かの作品も出ているので、

絵の感じはわかっていただけると思います。


展覧会の日程と自分の予定からすると、行けるのは

ゴールデンウィーク中の松本かそのあとの京都か。


当初は連休中に松本に行くつもりだった。

松本には浮世絵の美術館 もあり、はしごしようと思ってた、

運転手つきで(笑)

でも、急な出勤で松本行きは中止。


じゃあ京都 で見ようと思い、

5/23に大阪で用事があった時に寄ったら、

なんと会期は翌日から。あちゃ。やっちまったよ。

もちろん会期は確認した"つもり"。

でも、自分の数字に対するいい加減さはよぉっくわかってるのと、

会期中にもう一度関西に行く機会があるからその時に見ようと

思ったのと、京都駅前の伊勢丹が楽しかったので、

ま、いいか!とすぐに立ち直った。


そうしての昨日、ようやくあの絵たちと対面。

会場があまり広くなくて、隣の絵との距離が近かったため、

少し離れて見ることがあまりできなかったけれど、

一点一点じっくり見てきた。

お客さんは思ったよりもいらしたけれど、

時々周囲に誰もいなくなることがあった。


私がもっとも見たかったのは、

「死の床につくリューディ・アンカー」。

検索していただければどこぞ(個人のblogなど)で見ることができますので、

興味のある方は探してみてください。


1900年前後はまだ幼児の死亡率が高かったようで、

この画家も二人の息子を幼くして亡くしている。

その幼い息子の最後の姿を絵に描く感覚は私たちにはわかりにくいけれど、

本当にとてもとてもかわいらしい姿で、

親の愛情に包まれ、温かい光が差し込んでいる絵。

なぜかこの絵の前にはあまり人はおらず、

全体がちゃんと見えるほど下がって見ていたけれど、

10分くらいそこにいた。

静かにじんわりとこみ上げてくるものがあり、涙がこぼれてた。

キリがないので諦めて出てきた感じ。

何に惹かれたのかは実のところよくわかんない。


ずっと見ているうちに少し思ったのは、

3歳で病気で亡くなった妹のこと。

その時7歳だった私は、小さな棺おけの中が怖くて覗けなかった。

何が怖いのかもよくわからなかったが、自宅でのお葬式の間、

一番後ろの壁にへばりつくようにしていた記憶、というよりも

頑なにそうしていた感覚が残っている。

どんなに周りの大人に腕を引っ張られてもそこを動かなかった。

どうしても前に行かなければいけない時も

顔を上げればやや前方に見ることのできるそこは覗かなかった。

小学2年生だったから、その行為は許された。

でも、両親と病院に駆けつけた時妹はもう亡くなっていて、

その時のことははっきりとではなく覚えている。

フラッシュバックするそれは動画。

ほとんどは母の声にならない慟哭と妹の体をさする姿なのだが、

母の背中の向こうの妹の眠ったような顔はちゃんと覚えている。

触ってみなさいと言われてそっと腕に触れた時の

まだ残っていたぬくもりも。

決して鮮明ではないあの時の記憶の、

子供心に刻まれた何かと重なったのかもしれない。


解説には子供の死を昇華するために絵にしたとあったが、

私は画家の性(さが)かなぁと思った。

亡くなった人を思う気持ちの究極は

自分の生ある限りその人を自分は忘れないこと

だと思う。

だとすれば、絵にすることは愛情表現。

写真が発明されてすぐの時期ではあるけれど、

画家が絵に残すのはむしろ素敵・・・すばらしい・・・どんな言葉を

使ってもなんだか気が引けるのだが・・・悪いことではない・・・

なんか違うんだなぁ。もっといい意味なんだけど、いい言葉が浮かばない。

・・・かもしれない。(はぁ、ボキャ貧)

つまりは心情的には。

描きながら記憶の中の息子の日々を、生の記憶を

一筆一筆に込めたのかもしれないと思った。


この画家に惹かれたことは

日ごろの私の嗜好からすればいささか突飛な方向ではあるけれど、

心惹かれるものには忠実でいたいと思う。

情報を集め、足を運ぼうとした気持ちに。

きちんとした感想をいくつか読ませていただいて、

そういう深遠までは到底辿り付けていないとは思ったが、

心が感じたことは確か。


これもまた一期一会。

会えてよかった。