世の中に送り出すということはつまり区切りをつけること。


今日読んだ雑誌で、ある方がそう言っておられた。


自分のすることに完成はない。

満足もない。

必ず悔いが残る。

その悔いを少しでも減らすために、

ギリギリまで

これで良かったんだろうかと自問して、

最良をめざす。


でも結局、100%になどなり得ず、

アウトプットは区切りをつけると同義語だ。


というようなお話だった。(あくまでも文意として)


私は往生際が悪い。


ここの文章をアップしたあとで直すあの根性はまさにそれ。

アップ前にはどう練っても浮かんでこなかった

もっといい言葉を閃くと、

あとに残っていくものだからと直してしまう。

ほんとはいけないんだよね。(スイマセン)


活字時代なら、校了はまさしくこの区切りだった。

印刷にまわされてしまったものはもう、

今のこのネット上の文章のようには直せない。

そこにかかるコストも考えるし。

自らの責任ではない大きな理由での

刷り直しまで伴う加筆や修正はあり得たが、

担当者一人の個人的な出来不出来ではそんなことは

言い出せない。あり得ない。だから諦める。


だから、今日読んだ、「区切り」の言葉に深く頷いてしまった。


区切り方、間違ってるよなー、アタシ。

というよりも、甘えだよなー。


しみじみ、つくづく。


区切らなきゃねー。


それが諦めであってもねー。