時の流れ(若干、加筆) | ひとりごちたるありふれた日々

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今さらなせりふではありますが、

省吾のファンになって25年が経っている。


ファンになった日があまりにもはっきりしているので、

数えやすい。

アルバム「愛の世代の前に」の発売日だから、

間違えようもない。


1981年9月21日。


日曜日の山下公園で、

25年前にここに来たと思い出した時、

あの時はまだ省吾のファンじゃなかったんだ・・・

とも思っていた。

多分あの場所を歩いたのは、

1981年の8月10日前後。


夏休み中に、東京の大学に行ってる友達に

東京、鎌倉や横浜のいくつかの場所を

案内してもらった、

2泊か3泊かの旅だった。


・・・今、思い出した。

東京での夜は今じゃそんなに飲んだら

血を吐くわ!ってくらいの飲みっぷりで、

大学に入ってから2度目の泥酔だったんだ。

東京に来る前夜にすごく嫌なことがあって、

ほとんど寝てなくて、

かなり滅入った気分で行ったから。

その友達には関係ないことだし、

昼間は元気にしてたけど、

お気楽な学生さんにとっては日々の気分がすべて

だったから、飲んだらもう・・・ね。

うっわー、その嫌なことの内容まで、今思い出しちゃった。


ちなみに、そのレベルの酔いは、

今までの人生で多分4回ばかり・・・。

一瞬とはいえ記憶が飛んだ最後の時でもありました。

あとは泥酔だけど記憶はあったから。


翌日はひどい二日酔いだった(あたりまえ)。

そして雨だった。

その雨の中、鎌倉から北鎌倉まで歩いた。

ほとんど何も食べてないのに。

若さってのはすごいねーーー。

ハタチだったもんね。

そこここのお寺にある仏像の目が

ガラス球でできていたことが妙に印象に残ったことも、

これを書きながらふと思い出した。


そーそー。

その時はカメラなんて持って行かなかった。

今は、最低限でも携帯のカメラがあるけど。

たまたま鎌倉のどこかのお寺で、

案内してくれた友達の大学の友人に遭遇。

私たちの写真を撮ってくれた。

それがその旅唯一の写真で、

今もその頃のアルバムに貼ってある。


その夜はステーキを食べたんだ!

多分駅前のポルタかな、のどこかのレストランで。

二日酔いの翌日の夜、

その日初めて食べたご飯がステーキって・・・。

胃も今とは比べ物にならない元気さだったらしいです(苦笑)


そのあと関内に行って、雨上がりの

港の見える丘公園とか山下公園とか、

あのあたり一帯をぶらぶらと歩いた。


翌日、ポルタのどこかにあるからくりのような噴水を見て、

私の帰途に合わせて帰省する友達と一緒に

帰路についたのだった。


もひとつ思い出した。

当時は下宿暮らしで、食事は自炊。

適当にやっていたせいもあり、

今となっては信じられないくらいの

スレンダー(笑)さでした。

今よりも10kgぐらい体重が少なかったんじゃないかな。

おなかがぺっちゃんこだった。

ウエストも・・・今より10cmぐらい細ったと思う、確か。

というか、あの年頃の女子って、

横から見るとすごく薄いですよね、厚みが。

大人になってからで、一番痩せてた時だわ。

まさしくその時期でした。


その東京への旅のほぼ40日後に、

不意に聞いた「ラストショー」。

そこから始まったことが

25年後の今日につながっている。


省吾のファンになる

本当にほんの少し前の自分が立った場所。


省吾のファンになったから、

25年後に訪ねた同じ場所。


その間に自分に流れた時間が、

省吾の曲をそばに置いて生きてきた時間と

ほとんど同じ。


なぁんにも考えてなかったあの頃。

あの時の自分から、

ずいぶん遠くへ来たんだなぁと思った。


たくさんの痛みを知って。

時にはいくつかの重いものも背負って。

いつもいつも省吾の曲を聞きながら、

ずっと省吾の姿を見つめながら、

ほんとの意味で大人になってきたんだなぁと思う。


今の省吾が「一緒に歩いてきた」と言ってくれる

そんな時間。

時の流れの中で刻んできたもの・・・。


神奈川県民ホールでの夜。

「家路」のあの映像を見ていたら

目の前が滲んでぼやけてしまったのは、

そんなことが潜在意識の中にあったからなのかもしれない。


改めて、

自分がとっている省吾との距離、

自分の省吾を見つめる目線、

その位置やあり方を

強く認識し、確認した夜でもありました。