前から興味のあった「コクリコ坂から」を見た。
以前テレビ放映されたときに見逃して悔んでいたのを、友人がDVDにおこしてくれたのだ。
ここまで深く揺さぶられたのはずいぶん久しぶりだ。
見ている最中は、こんな学生時代を送ってこんな初恋ができたら楽しいだろうなぁと思った。
特にあの部室棟のような同好会やらなんやらが集まる「カルチェラタン」が好きだ。
男女の役割がはっきりと分かれていた時代だが、古き良き時代のにおいがする。
ピアノの軽快なBGMも好きだ。
朝鮮戦争や父親の死というほの暗い雰囲気も漂い、それらが世界観に奥行きを与えているように感じられる。
当時は、日本人、朝鮮人に限らず、戦争に関わった国の人々全員が戦争の被害者であり、皆何かしらに苦しんでいたのだろう、と思った。二回にわたる世界大戦のことを思うと胸が詰まる。
見終わって、ぼーっとしつつもさっき見たものを反芻する。
作中の背景に、脚が折りたたまれた古いちゃぶ台が混じっていたが、あれは昔うちにもあった。
「コクリコ坂から」の時代は昔であるので、昔のものがあるのは当然だが、うちにもあったあのちゃぶ台を見ると懐かしい気持ちがこみ上げてくる。
私が幼いころ、父と母は東京に来たばかりで言葉や環境に不慣れで、貧乏だった。
木造の古い家の一角を、家賃3万円で借りていた。
部屋は二つだけで、風呂もない。
大家さんは子供のいない夫婦で、2人で住むには大きい家だったのだろう。
私たち家族は一階の小さな部屋を、二階には、顔を見たことはないが、あるご婦人が部屋を借りていた。
隣の扉から大家さんの部屋に行けるし、二階には大家さん夫婦の寝室もあるらしかった。
お風呂は毎日大家さんの部屋に上がって入れてもらった。
相田みつをのカレンダーが玄関にかかっていて、黒電話も置いてあった。
両親が共働きだったため、私はときどき大家さんに預けられた。
大家のおばちゃんと一緒にテレビを見たり、九九の暗唱を聞いてもらったりした。
おばちゃんは煙草を吸うので、煙を散らして遊んだりもした。
仏壇に飾ってあるお米が不思議でたまらなかった。誰も食べないのになぜ置いておくのか。「神様が食べるんだよ」と教えてくれたのはおばちゃんだ。
白髪のか細い老婆の写真も飾ってあった。「これはおばちゃんの死んだお姉さんだよ」と聞いた時はどうしていいかわからなかった。
おばちゃんは猫を飼っていて、猫はなついてくれず、触れなかったどころか近づいてもくれなかった。
おばちゃんは猫缶の他にちくわもあげていた。だから小学校の給食で出るまで、ちくわは猫の食べ物だと思っていた。
おばちゃんにはかなりお世話になった。
感謝の気持ちを表すために、わざと甘酒やおかずを多めに作っておすそわけした。おすそわけする時は、決まってちょっとだけ世間話をしたものだ。
私たち家族は貧乏だったから、家具を買うお金すらももったいなく、まだ使えるのに捨てられた粗大ゴミを拾った。
今では壁が白く、床もフローリングで、お風呂もあって、部屋もいくつかある家に住んでいる。
私が小学校の高学年の時に引っ越した。
拾った冷蔵庫は引っ越すときに買い替えた。
拾った電子レンジと扇風機は十年近く使った後に壊れて、今は新しいものになっている。
拾ったテレビはずっと壊れなかったのに、地デジに変わってしまって使えなくなってしまった。ブラウン管のテレビの上に電話を置いていたのが、薄型テレビになってしまって電話は移動した。
拾った脚が折りたためるちゃぶ台はいつのまにかなくなっていた。「コクリコ坂から」を見て、そういえばこんなのもあった、と思い出した。椅子も拾っては捨て、拾っては捨てた。
中学校にあがったときに、自分の成長した姿を見せに行った。
ちょうど取れたてのタケノコを沢山もらったので、立派なものを選んで手土産に持って行った。
おばちゃんは元気そうだった。
あれから何年か経った。
「コクリコ坂から」を見て、昔のことを思い出して、おばちゃんのことも思い出した。
子供も孫もいないから、おばちゃんはかなり老けているかもしれない。
おじちゃんは、おばちゃんよりも年上だからもっと老けてるだろう。
おばちゃんは喫煙者だったから、もうすぐ死ぬかもしれない。
そう思うと今すぐにでも会いに行きたくなる。
都市の匿名性は利点だ。匿名性故に人を惹きつけるのかもしれない。
だが子供の頃散々お世話になって、おすそわけをして、お風呂を借りるといったことは、今の東京では滅多に経験できるものではない。
私は今人生の節目にある。
この成長した姿を見せに行きたい人がいる。
節目節目に会いに行きたい人がいるというのは、素晴らしいことだと思う。
このことを思い出させ、日本の古き良き時代を描きだした「コクリコ坂から」を見てよかった。と心から思う。
