過去の日記を消してしまう
くらいなら最初から
書かなきゃいい

誰にだって消して
なかった事にしたい
過去はあるでしょう

やり直したい過去
だってあるでしょう

体は現実を生きているのに
心は一部の過去に囚われてる
人だっているでしょう

今を幸せにいくため
あるいは、要らぬ傷や心配
を自分以外の誰かのために
配慮する事だってある

その中にはきっと過去も

心が過去に囚われたまま
だなんてもっての他で
処分しなくちゃいけない心
処分した方がきっといい物
違う言い方で言えば
取っておいても無意味なもの
はあるだろう


昔付き合っていた人との
思い出の品

特に念が入っていそうな
指輪とか手紙も

私自身いろいろな過去
がごちゃ混ぜになっている
部屋に過ごしていたら
いろいろ中途半端過ぎて
幸せになんてなれないって
思っているから
きっとそう思うんだと思う

けれど
いろいろな想いを綴った日記
だけは保存していられる
限り保存したい

当時の自分が自分の言葉で
一生懸命書き綴ったものを
どうして消す必要がある?

物は何も語ってくれないから
残すだけ本当無意味

だけど、あの時の自分があって
今の自分がいるのは
今、私が生きている以上
それは紛れも無い事実で
あって、決して嘘ではない
それが仮に仮面を被った
偽善者だったとしても

どれだけ消したい過去でも
目を背けたい辛い過去でも
どれか一つを抹消してしまったら
今、私はこんな文を書けて
いるのでしょうか。


趣味も特になく
全く輝きを持てていない今の私
でも、一生懸命生きてきた証が
過去であって、荒んだ過去
なんかじゃない

だから彼氏的な物体と
別れた直後に日記を消したり
する人とか見ると凄い残念な
感じに見える


人工的に過去を修正
してるみたいで

私はそんな人達の気持ちが
理解出来ない。
小学生の時、総合学習の授業で、環境問題や照手姫の伝説に調べていた時のこと。

地元の保存樹木がどれくらいあって、どれが一番長寿の木なのか探していた時(ちなみに長寿の樹木は、私の家の近くの神社にある)車で轢かれたであろう瀕死の子猫がある保存樹木に倒れていた事があった。
学校に帰らなきゃ行けない門限も、自分達が授業中だって事も、先生に怒られる事も、汚くて血だらけな子猫を抱く事も、何も考えられなくなるくらい当時の自分達は一生懸命だった気がする。

プリント類を脇に抱えて、子猫を抱いて学校まで走って、先生に事情を説明した後、動物病院に連れて行ってクラスで一生懸命看病した。
丁度、七夕が近くてクラスには笹の葉があったから、クラスみんなで願い事に

子猫が元気になりますように。

って短冊に書いてお願いしたあの日。

毎日朝早くに学校に行って、子猫の様子を見ていたあの日。

子猫が死んで、みんなで号泣したあの日。

神様はそんな私たちを見ていたはずなのに。

願い事は何一つ叶わなかったんだ。

それが運命だったんだと、一言で片付けられてしまっては渋々頷くしかないのだけれど。

じゃあ、お願い事って何の為にするの?

七夕って何の為にあるの?

ただの儀式で、ただの祭りごとなの?

七夕という素敵な夜に、皆それぞれの願いを織姫と彦星がどうか逢えますようにって願いと一緒に天に祈るでしょう。

難病を抱えている人が身内にいれば、治って元気になりますように。

妊婦さんは、元気な赤ちゃんが生まれてきますように。

一生を共にすると誓った夫婦、またはそう想える相手とずっと一緒にいられますように。

神様にお願いしたものが決して叶わないなら、もう二度とお願い事なんてしたりしないよ。

私は私自身にお願いして、もし私以外の誰かにお願いするのであれば、それはきっとあの人と一緒にいるあの瞬間で。

一番叶えたい願い事は、誰にも知られる事もなく、ひっそり思いたい。

心だけはきっと自分だけのものだから。

どれだけ生まれ変わっても、今ある心で何かを思えるのは今、この瞬間だけだから。

誰かに叶えてもらおうとおこがましい事をして、叶わなかったら凄く嫌だから。
納豆ご飯を食べながら
涙を流す

あまりに惨めだから?

違うよ

温かい食卓で
大好きな人と食べれるご飯だから。
大好物の納豆ご飯を
あなたの顔を見ながら
食べれるから

顔に納豆がついちゃっても
きっとあなたは笑いながら
顔についた納豆を取ってくれる


私はそんな女の子に
なりたいんだ