ノンフィクション小説「逆境のトリセツ」を発刊
幻冬舎ゴールドライフオンラインで連載中

右足を切断してから10年後誘われたのは「アンプティサッカー」


事故から十年。


障がい者雇用で仕事にも就くことができ、なんとなく安定した生活をしていた。


義足はというと、


定期的に、切断した足の形に合わせてメンテナンスをしていたが、ある日、義肢装具士の石見さんから突然の誘いがあった。



「谷口さん、スポーツをやっていたんだよね。サッカーやってみない?」


ごくごく軽いノリだった。


「? ……足がないけど、どうやってサッカーをやるんですか?」


「まあ、行ってみたらわかるよ。大丈夫。大丈夫」


俺は、足を切断して右足がない自分が、足を使う競技・サッカーに誘われた意味がよくわかっていなかった。


「できるかどうかわかりませんが、行ってみるだけ、行ってみます」


言われるままにチーム練習にこれまた軽い気持ちで参加した。


オフシーズンというだけあって閑散としているピッチで、真冬の極寒の中、サッカーの練習に参加した。参加したのは、一般的なサッカーとは少し違っていた。


石見さんが解説してくれた。


「このサッカーは、アンプティサッカーといって、足や腕を切断した人や麻痺がある人がプレーする障がい者サッカーなんだ」


「義足をつけたままサッカーをするんですか?」


「義足は外すんだよ。この医療用のロフストランドクラッチという杖を使ってサッカーをするから足がなくてもできるでしょ」


「俺は、入院中に車イスばかりだったし……、義足を作ってもらってから、歩行訓練ばっかだったし、ほとんど松葉杖も使ってないんですよ」


「大丈夫、大丈夫、できるよ。できるよ。やってみよう」


高校時代にテニスをしていた俺は、スポーツは得意な方だった。


だが車イステニスの体験にも行ったものの、自分が思っていたスポーツと違うと思った。


スポーツは、自分の足で風を切って走るものだと思っていた。


ロフストランドクラッチという医療用杖を使うのも初めてだった俺には、その杖を使って歩く、走る、ボールを蹴る、と初めての経験ばかりの一日だった。


そして、かなり強引にその日のうちにアフィーレ広島AFCに加入することになった。義肢装具士の石見さんは、チームのまとめ役だった。


アンプティサッカーとは、一九八〇年代にアメリカで、足を切断した障がい者が偶然ボールを蹴ったことで思いつき、以降アメリカ軍負傷兵のリハビリの一環として普及が進んだものだった。


日本にも全国各地に十一のアンプティサッカーチームがあり、競技人口はおよそ百人。


俺みたいに足を切断した人は、義足を外して、日常生活やリハビリで使っている杖で競技を行う。


アフィーレ広島AFCは、ちょうどこの頃できたばかりの、広島初のアンプティサッカーチームだった。


チーム代表は、広島にチームを作りたいと東京から広島に移り住んだ理学療法士・坂光さん。


身体的にも精神的にも落ち込んでいるかもしれない人を太陽の下に呼び出すことを目標にして、選手を探していたのだった。



本記事は、202210月刊行の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。



引用:幻冬舎ゴールドライフオンライン