小説『逆境のトリセツ』を発刊しました。

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はじめまして、谷口正典です。

私は、右足大腿切断者で、義足で生活をしています。
 

死の淵から這い上がってきた意味、生きる意味を感じながら生活しています。
 

その内容をブログに綴っていきます。

 

■ ~2004年3月~

私の生活は、連日早朝4~5時から出勤。
 

仕事が終わるのは未明になることも多く、
 

睡眠時間は、2~3時間だった。


 

■正面衝突事故


その日は、仕事が終わり、深夜、軽自動車で帰宅していた。

その途中に交通事故に遭った。

自分が運転していた軽自動車と10tトラックとの正面衝突だった。

事故の影響で、その夜の国道2号線は、長時間通行止めとなった。

 

私はというと…

4時間かけてレスキュー隊に救助された。

その時の私の状態は、意識不明の重体。病院に救急搬送された。


 

■意識不明重体

 

全身におよぶ複数の複雑な骨折だった。

骨折箇所は数えきれないほど多かった。

その他にも、肺挫傷、脳挫傷…。

救急搬送されて集中治療室で、意識不明のまま2週間が経過した。


 

■そのときの右足は

 

救急搬送された時点、右足は下腿骨折だった。

開放骨折だったが、右足は存在していた。

一方で、いまサッカーボールを蹴っている左足はというと…

足根骨と中足骨の粉砕骨折だった。

このときの左足の状態をドクターは次のように解説した。

 

「貝殻をハンマーで思いっきりたたき割った状態と同じ。」と…。


 

■意識回復

 

私の意識が回復したのは、事故から2週間経過してからだった。

整形外科病棟の天井を見たのがその瞬間だった。

そのとき、自分に何が起こったのか全くわからなかった。

 

しばらくは、骨折の両足を抱えて朦朧とした入院生活を送った。

「生きていることの方が不思議、本人の生命力で戻ってきた」と医師が言った。

まさに死の淵から這い上がってきた状態だった。




■右足と命を天秤に
 

右足の下腿の開放骨折。

実は、この骨折箇所が問題を抱えていた。

事故したとき、車の油等の異物が下腿の骨折したところに悪い影響をおこした。
病名は「MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)」

この病気は、重症化すると、敗血症、髄膜炎、心内膜炎、骨髄炎などに陥って
死亡する事も少なくないという非常に怖い感染症だ。

 

~右足を残すか、命を残すか~

 

ドクターから選択を迫られたこのとき、

私は、意識が朦朧としており、判断ができ状況ではなかった。
私の両親が「命を守るため、右足切断」の判断をすることになった。

 右足を失うことを私自身が知ったのは、手術直前だった。

「命が危ないから右足を切るけえね。」

と母からの言葉だった。

何が起こっているのかまったく判断できず、口からついて出た言葉は

「わかった」だった。

右足を切断する手術にかかった時間は6時間。

 

その夜、目が覚め、右足を失った現実を受け入れることができなかった私は、本当に落ち込んだ。


ただただ、涙がこみ上げてきた。

その夜、おもいっきり泣いた…。

後にも先にも涙を流したのは、このときだけだった。

 

切断から一夜あけて、できることからはじめた。

一切、泣き言は言わなかった。

ただ、リハビリを続けた。

筋力トレーニングをはじめ、とにかくできることを全て行った。



■右足を義足に


右足の傷口がおさまった後、仮義足を作ることになった。

そこから、義足で歩く訓練がはじまった。



初めて義足を装着したとき…

まず、義足が信用できなかった。

そのため、義足に体重をかけられず、膝をうまく曲げられなかった。

義足の歩行が、とても難しかったことを覚えている。

そこから、少しずつ慣れてきたところで、

朝から晩まで病棟のフロア中を歩き回った。


 

■仰天の出来事を少しお話すると…

 

病棟で歩行練習をしているときのことだった。

義足のネジが緩んで右足義足の膝下から外れた。

病棟の看護師さんが、大慌てでかけつけて来てくれた。

周りの人たちは、「ギョっ!」としただろう。

 

そんなこともあったが、順調に怪我も回復した。

事故から4か月後、退院することができた。

 

 

■アンプティサッカーとの出会い

 

日常生活を送る中で、2012年にアンプティサッカーに出会った。

きっかけは、義足を作ってくれた義肢装具士さんの紹介だった。

実は、その義肢装具士さんもアンプティサッカー選手だった。

その選手は、現在も私の義肢装具士でもあり、
A-Pfeile広島AFCのチームメイトとして、一緒にフィールドを走っている。


 

■右足を失ってから、今日まで来ることができたのは

 

まず、第一に「健常者よりも上手に歩いてやる!」という強い気持ちがあったこと。

そして、自分が負った障がいに対する悩みを共感できるアンプティサッカーの仲間ができたこと。

さらに、ただ仲間がいるだけでなく、同じ目標を志すことができるスポーツがあったこと。だった。



■このブログを読んでくださったみなさまへ

 

私は、車運転中の事故で、右足を失いました。

障がいを負ったとき、多くの人の支えや助けがあってここまで来ることができました。 

みなさんも、いつ交通事故に遭うかわかりません。

私のように障がいを負うことがあるかもしれません。 


大小あるかもしれませんが、誰しも壁にぶちあたることがあると思います。

こんな自分でも乗り越えて、今があります。

みなさんも壁を超えられないことがあっても悲観的にならず、

前向きに「自分はできる」と信じて乗り越えてほしいと思います。

 

 




A-Pfeile広島AFC 4 谷口正典

 

 

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